頬に当たる感触はさらりとしていて、ほのかに柔軟剤の優しい香りがした。 いつシーツを取り替えたのだろう。全く気がつかなかった。 昨日は、と記憶を辿る。 ビアガーデンに行ったのは覚えている。 担当していたプロジェクトが上手くいったので同僚達と打ち上げをしたのだ。 やっぱり最初は生中だよね、とジョッキで乾杯して、それから。 そう、それから、隣のテーブルにいた男の人が話しかけてきたのだ。 全身黒ずくめの男の人が。 「落とし物ですよ」と私の片方のイヤリングを渡してくれたのをきっかけに会話が弾み、言葉巧みに誘惑され、程よく酔っていたこともあり、そのまま彼にお持ち帰りされてしまったのだった。 その後は、めくるめく快楽の世界が待っていた。 前後不覚になるほど散々イカされまくり、そして。 「ああ……どうしよう」 最後は中に出されてしまった気がする。 酔っていなければそんな狼藉を許すはずもなかったのだが、何しろめちゃくちゃ気持ちよくて、その時は気にならなかったのである。むしろ、中出しされた快感で駄目押しとばかりにイッてしまったくらいだ。 その点以外では彼はとても紳士的だった。 ぐったりして動けない私をお風呂に入れてくれて、全身綺麗さっぱりしたところでベッドに寝かせてくれたのだった。 そして目が覚めたら朝だったというわけだ。 「どうしよう」 私はもう一度繰り返した。 こんな経験は初めてなので、どうしたらいいかわからない。 とりあえずベッドから出ようとしたところで、サイドテーブルにメモが置かれていることに気がついた。 《おはようございます。昨夜は最高の一夜でしたね。貴女もそう思って下さっていると良いのですが》 「うう……!」 《キッチンの冷蔵庫の中に朝食がありますので温めて食べて下さい》 キッチンまで行ってみて恐る恐る冷蔵庫を開けると、なるほど、確かにあった。 雑誌やテレビでしか見たことがないようなお洒落で美味しそうな朝食が。 メモに従い電子レンジで温めて食べてみたら、びっくりするほど美味しかった。 料理上手は床上手というのは本当らしい。 彼はベッドの上でも物凄くテクニシャンだったから。 《玄関はオートロックですので、鍵の心配はいりません。安心して下さい》 「あ、良かった。これで帰れる」 《テーブルの上にタクシー代と配車用の電話番号が置いてあります。気をつけて帰って下さいね》 「タクシー代って……五万円もあるんですけど」 結局、怖いのと申し訳ないのとでお金には手をつけなかった。 申し訳程度にベッドを綺麗にし、食器を洗ってから私は彼のマンションを後にした。 お酒での失敗は誰にでもあることだ。 このことは忘れよう。忘れてしまおう。 そう自分に言い聞かせながら。 しかし。 「────ない」 自宅に帰ってから、あることに気付いた私は真っ青になった。 イヤリングがないのだ。 昨日、彼に拾って貰ったイヤリングが。 ビアガーデンにいた時には確かにあったはずだ。じゃあ、どこでと考えて、思い出した。 そうだ、えっちする前に外したんだった。 どうしよう。あれは祖母の形見なのに。 三日間悩んだ末に、私は再び彼のマンションを訪れていた。 オートロックの外ドアの前で逡巡してから彼の部屋番号を押す。 『はい』 「あ、あの、すみません、私忘れ物をしたみたいで」 『どうぞ上がって来て下さい』 短いやり取りで済んで良かったとほっとしながらエレベーターで最上階まで上がる。 部屋のドアが開いて彼が立っていた。 「こんにちは。またお逢い出来て嬉しいですよ」 にこやかに彼が微笑む。それから彼は私の耳にイヤリングを着けてくれた。 「また失くしてはいけませんからね」 「ありがとうございます、赤屍さん」 「蔵人と呼んで下さい。聖羅さん」 彼は笑みを浮かべたまま言った。 「お茶を淹れますから、どうぞ中に」 断るのも失礼な気がして、おずおずと玄関の中に入る──そのまま二度と帰れなくなるとも知らずに。 その後ろで彼が静かにドアを閉めた。 |