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「雨はいいですね。血も何もかも洗い流してくれる」

傘も差さず、雨に打たれながら佇むその男は薄ら笑いを浮かべていた。
13日の金曜日の夜に遭遇したのが仕事帰りの殺人鬼だなんて笑えない。

怯えて震えあがる聖羅に瞳を細めて、赤屍は一歩足を進めた。同じ分だけ聖羅も後退る。聖羅が差している傘に当たる雨音がやけに大きく響いて聞こえた。

「怖がらないで。これを渡しに来ただけなんです」

赤屍が穏やかな声で言った。
彼が差し出したのは一輪の黒い薔薇。

「ここまでの漆黒は珍しいでしょう。今日の依頼の品でしてね。貴重なものですが一輪だけ分けて頂きました」

「そう、なんですか」

受け取らないのも恐ろしい気がして、おずおずと薔薇に手を伸ばす。
そっと手渡されたそれは雨に濡れて艶々と輝いていた。ベロアにも似た手触りに、確かにこれは極上の品なのだとわかる。
これを手に入れようとして大勢の人間の血が流されたということも。

「綺麗ですね」

「香りも素晴らしいですよ」

そう促されて薔薇に鼻を近付ける。
その途端、何とも形容しがたい濃厚な甘い香りが鼻腔を満たした。
思わず深呼吸をするように深く息を吸って香りを肺に取り込む。

「本当……良い、香り……」

くらりと眩暈を感じ、聖羅の手から傘が落ちる。
薔薇を持っていた手は上から重ねられた赤屍の手によって守られた。
力が抜けて崩れ落ちる身体を赤屍が片腕で難なく支える。

「素直なところは貴女の美点だ。ですが、もう少し警戒心を持つべきでしたね」

何か言おうとして言葉にならず、はくはくと空気を吸うばかりの唇を優しく、だが強引に奪われる。運び屋の口付けは血の味がするかと思いきや、意外なほど甘やかだった。

「今日は13日の金曜日。生け贄を求めて殺人鬼が徘徊する夜です。私のように」

薔薇を胸に捧げ持つようにして抱き上げられても聖羅は抵抗出来なかった。薔薇の香りの中に何かが含まれていたのか、意識ははっきりしているのに身体の自由が効かない。

「では、参りましょうか」

聖羅を抱き上げたまま赤屍が歩き出す。
その先の暗がりには闇に紛れるように一台の黒い車が止められていた。

「……、……い……や、……」

「そういう強情なところも魅力的ですよ」

クス、と笑みを漏らした赤屍によって車に乗せられる。ぽろぽろと溢れ出した涙を赤屍は優しく唇で掬い取った。

これからどこに連れて行かれるのか。何をされてしまうのか。
怖くて堪らないのにどうすることも出来ない。

車が走り去った後には、聖羅が落とした傘だけが静かに雨に打たれていた。


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