その人と初めて逢ったのはとある公園でのことだった。 都心にありながらも緑豊かなその公園は当時学生だった私にとってもオアシスのような場所で、よく息抜きに通っていた。 木陰のベンチに腰を降ろし、花壇に植えられた花々を眺めていると、ぶんぶんと眠くなるような羽音をさせながら蜜蜂が飛んできた。 この公園では別段珍しい光景ではない。管理が行き届いた花々が咲き乱れるここにはこの時期になると蜜蜂が訪れて花の蜜をとっていくのだ。 そっと指を差し伸べれば、蜜蜂は何度か私の周りを旋回したあと、指先にとまった。 「蜂が怖くはないのかい?」 突然近くから声が聞こえてきたので驚いた私の指先から蜜蜂が飛び立つ。 その蜂は、いつの間にそこにいたのか、ベンチの傍らに佇んでいた長身の男性の長くしなやかな指にとまって羽を休めていた。 「蜜蜂はこちらから危害を加えなければ刺したりしませんから」 「よく知っているね。だからかな、彼も君に興味があるようだ」 「彼も?」 「そう、私が君に興味を持ったように」 女性と見紛うほど美しい顔立ちをしたその男性は、紅を引いたようにな朱唇に艶やかな笑みを乗せて私を見下ろしていた。 「私は毒蜂。君に惹かれて彷徨い出てきた男だ。花のように可憐なお嬢さん」 それが毒蜂さんとの出逢いだった。 毒蜂さんは不思議な人だった。神出鬼没で、私が知るどの男性とも違う。 紳士的だが、まるで見えない壁があるようにこちら側に踏み込んで来ることはなく、また、自分自身のこともあまり語ろうとはしない。 それでいて、博識な人だったので、私達は飽きず様々なことを語り合って過ごした。 恋に落ちるのに時間はかからなかった。 「君は業というものを知っているかい」 ある日、毒蜂さんが言った。 「自分自身の業に飲み込まれていく者を数多く目にしてきた。私もまた業に囚われている一人だ」 静かに語る毒蜂さんの声に耳を傾けていると、ふと風に吹かれて乱れた私の髪を彼が優しく撫でつけてくれた。 「こうして君と逢えるのも、今日が最後かもしれない」 毒蜂さんの手が私の頬を包み込む。 私が目を閉じると、彼は私の額に優しく口付けた。 「私には君の唇を奪う資格がない。いつか君にとってのたった一人の男が現れた時のために大切にとっておきなさい」 眠くなるような羽音が聞こえてくる。 急激な眠気に襲われて目が開けていられない。 「いつかこの身が蟲に還った時には、君に逢いに来よう。例え、それが私だとわからなかったとしても」 次に目覚めた時、毒蜂さんの姿はどこにもなかった。 それ以来、彼には逢っていない。 それでも私はその公園に通い続けた。 雨の日も、雪の日も。 そうして季節は巡り、幾度目かの春がやってきた。 目の前の花壇にはあの日とは違う花が咲いていて、金色の陽射しが降り注いでいた。 ベンチに座って膝の上で本を開いていた私のもとに、ふとどこからか飛んできた蜂の影が差した。 指を差し伸べると、その優美な蜂は指先にそっととまった。 溢れてくる涙もそのままに微笑みかける。 「私ちゃんと貴方だってわかりましたよ、毒蜂さん」 応えるように彼が羽を震わせる。 その身体を包み込むように片手を添わせて私は本格的に泣き出してしまった。 「大丈夫ですか?」 突然近くから声が聞こえてきたので驚いた私の指先から蜂が飛び立つ。 顔を上げると、黒衣の男性が佇んでいた。 「驚かせてすみません。私は運び屋の赤屍蔵人と申します。もし良ければ、その涙のわけを私に話して聞かせて頂けませんか」 赤屍さんの長くしなやかな指が私の涙を優しく拭う。 蜂は何かを確認するように何度か私達の周りを旋回してから、いずこかに飛び去って行った。 |