私には三つ年下の幼馴染みがいる。
佐野万次郎といういささか古風な名前の彼はまだ中三で、仲間の間ではマイキーというニックネームで呼ばれている。
これは元はと言えば、彼の腹違いの妹のエマちゃんのために自ら名乗り始めた名前なのだが、いまではすっかりこの呼び名で定着していた。

万次郎には両親がいない。
彼が物心つく頃には既にいなかった親の代わりに、彼の十歳年上の兄である真一郎くんが彼の精神的な支えとなっていたのだが、その真一郎くんも万次郎が十二歳の時に亡くなっている。
いまは、万次郎と妹のエマちゃんとお祖父さんの三人暮らしだ。

元々お節介なほど世話焼きだった母に連れられてお隣さんであるその佐野家に出入りしていた私だったが、母が亡くなってからはその代わりに食事を作りに来たり、洗濯などの家事をこなすようになっていた。

「万次郎、起きて」

いつものように使い古されたタオルを握りしめて眠っている万次郎の肩を軽く揺さぶって彼を起こしにかかる。
あどけない天使のようなその寝顔は、とても暴走族の総長を務めているような物騒な男には見えない。
柔らかそうな金髪とまだ幼さの残る童顔に加えて小柄な体格のせいもあるかもしれないが、眠っている万次郎は本当に天使のようだ。
肩甲骨は翼の名残というけど、確かに万次郎のそこから羽根が生えていても驚かないだろう。

「起きないと遅刻しちゃうよ」

「んー……」

「連休明けでつらいのはわかるけど起きなきゃダメだよ」

「んー……なまえがキスしてくれたら起きる……」

「もう、起きないと知らないからね」

こんなことを言い出す時点で目は覚めているはずなので、役目は果たしたとばかりに私はさっさと台所に戻った。

万次郎の分の目玉焼きを両面しっかり焼いていると、ぺたぺたと床を素足で歩いて来る足音がして後ろからぎゅーっと抱きつかれた。

「おはよ、なまえ」

「おはよう。ちゃんと起きられて偉いね」

「子供扱いすんなよ。オレもう15になるんだけど」

「義務教育を卒業するまでは子供だよ」

だから甘えていいんだよという意味を込めて万次郎の頭を撫でる。

「髪の毛、結んであげようか?」

「ん」

「じゃあ、ちょっと待ってね」

火を止めてガスの元栓を閉めた私は、フライパンから目玉焼きを既にレタスや野菜が盛り付けてあるお皿に移した。
万次郎はまだ私にくっついたままぐずぐずしているが、ほぼ毎朝のことなので特に気にならない。

「ほら、座って」

「おー、今朝もうまそう」

エマちゃんとお祖父さんは先に食卓についていた。
いただきますをして食べ始めた万次郎の背後に立って、彼の金髪をブラシで丁寧にとかしていく。
長い前髪を中心から後ろに流し、編み込んでひとつに束ねる。

「なまえちゃんてば、またマイキーのこと甘やかしてる」

エマちゃんに突っ込まれるのももう慣れたものだ。

「エマちゃんも編み込みしようか?」

「えっ、いいの?」

「もちろん」

エマちゃんの髪は万次郎より長いので、サイドを編み込んで後ろでまとめ、バレッタで留めてあげた。

「ほら、万次郎とお揃い」

「お揃いだって。やったね、マイキー」

「へえ、可愛くなったじゃん」

「エマちゃんは元から可愛いよ」

嬉しそうに笑う兄妹を見ているだけで癒される。

「でも、なまえちゃんはほんとマイキーに甘いよね。どうせ学校行っても給食食べる以外は寝てるだけなのに、毎朝ちゃんと起こしに来てくれるんだもん」

「なまえ、そんなにオレに惚れてんの。オレの女になる?」

「はいはい、食べ終わったら歯磨きしようね」

マイキーをそんな風にあしらうのなんてなまえちゃんくらいだよ、とエマちゃんは笑ったけど、万次郎は不満そうだった。

こんな、ささやかだけど幸せな毎日が続いていくのだと思っていたのだ。
この時は、まだ。


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