私の親はいわゆる毒親で、私は搾取用の子供だった。 両親の関心は妹にしかなく、家は常に妹を中心に回っていた。 どんなに良い成績をとっても褒められることはなかったが、逆に少しでもテストの点数が下がればお姉ちゃんのあなたがそんなことでは妹に示しがつかないと頭ごなしに叱られた。 同じことをしても、妹は褒められ、私は出来て当たり前。 「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」が両親の口癖だった。 高校まではかろうじて行かせて貰えたが、大学には行かずに妹のために働いて家にお金を入れるように言われた。 それをきっかけに私は家を出て、奨学金制度を利用して働きながら大学に通った。 お陰で何とかホワイト企業に就職することが出来たし、中学からお付き合いしている彼氏との仲も順調だ。……と思う。たぶん。 彼とは幼馴染みで、同じ部活を通して仲良くなった。 彼は部員達から頼りにされる才気溢れる部長で、私は下手の横好きレベルのへっぽこ部員でしかなかったけど。 高校から専門学校に進んだ彼は、まだ駆け出しとはいえデザイナーとして少しずつ世間にその才能を認められつつあった。 「悪い、マナが熱出したから看てやらねえと。いま家にあいつしかいないんだ」 「大丈夫?私のことはいいから早く行ってあげて」 「ありがとな。この埋め合わせは必ずするから」 急いで出掛けていった彼を見送ってから、人知れずため息をつく。 自らも母子家庭で育った彼は、私の家庭の事情にも理解を示してくれている家族思いの優しい人だ。年の離れた彼の二人の妹達からも慕われているし、申し分のないお相手であることは間違いない。 だけど、彼が私よりも家族を優先させるたび、私の中の何かが少しずつ削られて失なわれていくのを感じていた。 「お前も、もうオレにとっては家族みたいなもんだからな」 そう言って少し照れくさそうに笑ってくれた彼の笑顔を思い出す。 私も彼の家族なのだとしたら、大事な記念日のはずなのに私は何故いまこの部屋に独りきりでいるのだろう。 冷蔵庫には、こっそり用意しておいたケーキが出番を待っていたが、どうやらそれを食べるのはまだ先になりそうだ。 寝室に隠してあるプレゼントも今日中に渡せそうにない。 手つかずのままの料理にラップをかけて冷蔵庫にしまうと、私は左手に嵌められていた指輪を引き抜いてテーブルに置き、バッグだけ持って部屋を出た。 特に行くあてもなく、ふらふらと街を歩いていく。 「オネエサン、一人?」 「オレ達と遊ばねえ?」 ──面倒な輩に絡まれてしまった。 それもそのはずで、いつの間にかお世辞にも治安が良いとは言えない地域に迷い込んでしまっていたようだ。 「邪魔」 それは私の口を突いて出た言葉ではなかった。 私をナンパしようとしていた男達が振り返る。 そこには小柄な青年が立っていた。 「万次郎くん?」 思わず呼びかけてしまってから後悔した。 これでは彼を巻き込んでしまう。 「なんだぁ?テメェ」 男は最後まで言い終えることが出来なかった。 万次郎くんの左足が垂直に跳ね上がり、男の顎を思い切り蹴り上げたからである。 男の身体が吹っ飛ぶのを見て、もう一人の男がぎょっとした顔で万次郎くんを見た。 そして、相手が何者なのか理解して悲鳴に近い叫びを上げた。 「な、なんで無敵のマイキーがこんなところにッ!」 その男は気を失なっている仲間を引きずるようにして慌てて逃げて行った。 「なんでこんなところにいるんだよ」 万次郎くんが責める口調で言って私に向き直る。 「三ツ谷はどうした」 「隆くんは……」 口ごもって俯くと、万次郎くんはため息をついて私の手首を掴んだ。 そうして、私の手を引いて歩き出す。 「万次郎くん?」 「行くとこないんだろ」 その通りだった。私には行き場がない。 私は大人しく万次郎くんについて歩き出した。 通りに出ると、黒塗りの高級車が止まっていて、ピンク色の髪の男の人が傍らに立っていた。彼は万次郎くんを見ると一礼して後部座席のドアを開けた。 万次郎くんが何事か男の人に囁きかける。 その人は私をちらりと一瞥すると、私達がやって来た方向に向かって歩いて行った。 「乗って」 男の人に気を取られていた私を万次郎くんの声が引き戻す。 彼は私を後部座席の奥に詰め込むと、自分もその隣に乗り込んだ。 ドアが閉まり、車が動き始める。 車は色々な意味で都内で一番高い高層ビルの前で止まった。 万次郎くんが降りたので、私も慌てて追いかける。 広いロビーを突っ切り、指紋認証で開いたエレベーターに乗り込んだ万次郎くんに続いてエレベーターに乗る。 最上階に到着すると、そこはペントハウスになっていた。 とんでもなく豪華な内装に呆然としている私の手を引いてリビングらしき空間に入った万次郎くんは、これまた高級そうな革張りのソファにどさりとその身を預けた。 「何か飲む?」 「あ、お構いなく」 「なに緊張してんだよ」 再会してから初めて万次郎くんが笑みを覗かせたのでほっとする。 本当に私の知っている万次郎くんなのかと心配になっていたところだったので。 まず、外見が違っていた。 頬にかかるあたりで短く切られた髪は白く、すっきりとさらされたうなじには花札の刺青が入れられている。 真っ黒な目は昔のままだが、その目の下には濃い隈が浮かんでいて、何より纏う空気が身を切るように冷たい。 「何があったか話せるか」 「…………うん」 私は万次郎くんにすべて打ち明けた。 今日は付き合って十年目の大事な記念日だったこと。 妹に呼び出された隆くんが実家に帰ってしまったこと。 それが初めてではなく、何度となく繰り返されてきて限界がきてしまったこと。 「三ツ谷といれば幸せだと思ってたからオレはお前を諦めようとしたのに」 幸せじゃなかったのか、と問われて私は緩く首を横に振った。 「私、聞き分けがいいふりしてずっと我慢してた。本当は私を一番に想って欲しかったのに、怖くて言えなかった。隆くんの一番になりたかった」 「オレの一番はお前だよ。ずっと昔から」 「万次郎くん……」 「誰もお前の代わりになれなかった。昔もいまも欲しいのはお前だけだ」 弱っていた心が激しく揺れ動く。 こんな風に想われていたなんて知らなかった。 その時、バッグの中でスマホが鳴った。 どうしようか迷ったが、万次郎くんに促されてスマホを取り出す。 着信履歴が凄いことになっていた。 恐る恐る画面をスワイプする。 『やっと繋がった。いまどこ?迎えに行くから場所を教えてくれ』 待ちわびていたはずの声なのに、私は一言も発せられなかった。 『ケーキとプレゼント見つけた。ごめん、本当に悪かったと思ってる』 『ごめんな、なまえ。オレお前に甘えてた。これからはちゃんとするから、だから』 それ以上聞いていられなくてスマホを耳から離すと、万次郎くんにそれを取り上げられた。 電源を落としたスマホがテーブルの上に置かれる。 沈黙したそれを見て安堵している自分が信じられなかった。 でも、いまならわかる気がする。 私は誰かの一番になりたかったのだ。 私だけを求めて、私だけが必要だと言ってほしかった。他の誰でもなく。 「オレに攫われてくれる?」 万次郎くんの光のない真っ暗な夜のような瞳に、いまにも泣き出しそうな私の顔が映っていた。 彼もまた私以上の闇を抱えた孤独な人なのだとわかった。 「もうお前を離したくない。頼むから、オレの傍にいて」 万次郎くんが私の頬に優しく触れる。 私はゆっくりとその手に自分の手を重ねた。 |