台風が来るというのに、両親は揃って仕事だ。 しかも、出張先から帰れないので、「杏寿郎くんに泊まってもらうよう頼んだから」などと、とんでもないことをしでかしてくれた。 突然だが、私には前世の記憶がある。 時は大正。私は鬼殺隊の隊士として、夜毎現れる鬼どもと戦っていた。 その時私の師範だったのが炎柱の煉獄杏寿郎さんである。 私は彼の継子として日夜鍛練に励み、杏寿郎さんへの密かな恋心を胸に秘めつつ、いつかは自分も柱となって彼と並び立ちたいと夢見ていた。 師範である杏寿郎さんが上弦の参によって命を絶たれてしまったその日まで。 私はというと、その後の無限城での戦いで炭治郎くんを庇って命を落とした。 そのことに後悔はない。 そして晴れて平和な世界に生まれ変わったわけだが、何の因果か、私が生まれた家は煉獄家とは家族ぐるみのお付き合いがあり、杏寿郎さんにはいわゆる『幼なじみのお兄さん』として赤ん坊の頃からお世話になっている。 現世での彼は私が通うキメツ学園の歴史教師だ。 なので、いまは煉獄先生と呼んでいる。 無論、前世の記憶があることは誰にも話していない。 一人を除いては。 炭治郎くんには匂いで嘘をついていることがバレたため、仕方なく事情を話して協力してもらっている。 そう、驚くべきことに、キメツ学園の関係者のほぼ全員が前世の記憶持ちなのである。 「物干し竿も植木鉢も中に入れたし、雨戸も閉めた。これで準備は万端だな!」 「ありがとうございました、煉獄先生」 私がお礼を言うと、煉獄先生は寂しそうな笑みを浮かべた。 「家にいる時は名前で呼んでくれて構わないと言っただろう」 「学校でうっかり呼んじゃったら困りますから」 煉獄先生が「むう……」と唸る。 やっぱり学校での立場というものがありますものね。 「そこは上手く呼び分けてくれ!」 「それが出来たら苦労しません」 「何事も努力の積み重ねが肝心だ。最初から諦めてはいけない!」 いかにも熱血教師らしいお言葉だが、前世でもよく耳にした内容だったので少し懐かしく思った。 「それより、先生、お風呂沸かしたのでお先にどうぞ」 「君が先に入るといい。ここは君の家だ」 「わざわざ泊まりに来て下さったんですから、先生が先です」 「君も大概強情だな。そんなところは昔から変わらない」 過去を懐かしむような表情で先生が言った。 「……本当に何も覚えていないのか?」 探るような眼差しの奥に確かに燃える炎を見た気がして、手をぎゅっと握りしめて耐える。 絶対に動揺を顔に出してはいけない。 「何をですか?」 凛々しい眉が下がっていく。 しょんぼりさせてしまうのは心苦しいが、ぐっと我慢だ。 「着替え、出しておきますね」 「……ああ、すまないな」 気を取り直したらしい先生が浴室に向かって歩き出そうとして、ふと振り返る。 「一緒に入るか!」 「駄目です」 「よもや!」 「駄目ですからね」 「駄目か」 残念だが仕方ないと笑って、先生は廊下の奥に消えて行った。 その姿が完全に視界から消えたのを確認して胸を手で押さえる。 まだドキドキしていたけど、大丈夫、バレていないはずだ。 時々こうしてこちらの気持ちを試すような言動をするから気が抜けない。 客間に布団を敷き、寝間着用の浴衣と新品の下着を脱衣所に置きに行く。 風はますます強くなってきている。 雨戸越しでも激しく荒れ狂う風雨が感じとれた。 「ありがとう。いい湯だった」 さっぱりした様子でお風呂から上がって来た浴衣姿の先生を見て、またもや懐かしい気持ちになった。 継子だった頃は煉獄家にお世話になっていて、鍛練を終えたあとは決まってお風呂に入って汗を流した杏寿郎さんが浴衣を着て縁側で涼んでいたものだ。 「私も入って来ます」 懐かしい光景を振り切るように、私は自分の着替えを胸に押し抱いて浴室に向かった。 背中に痛いくらいの視線を感じながら。 「はぁ……」 お湯はちょうどいいくらいの温度になっていて、湯に浸かると思わず溜め息が漏れた。 同じ屋根の下に杏寿郎さんがいる。 忘れようと努力してきたはずだったのに。 『煉獄先生』は学園の人気者だ。 男女問わず生徒達から慕われていて、バレンタインには28個もチョコを貰っていた。 それを知った時、この想いは忘れてしまおうと心に決めた。 先生にはいまの時代での新しい人生がある。 そもそも、継子だった時から所詮叶わぬ想いだったのだ。 忘れてしまうのが一番いい。 はあ……と、また溜め息をついてから、私はお風呂を出た。 そうして着替えている途中だった。 突然、電気が消えて辺りが闇に包まれたのは。 「停電?」 急いで着替えを済ませ、壁伝いに廊下を歩いていく。 「先生、煉獄先生……!」 「ここだ」 思っていたよりも近くから声がして、ぐいと腕を掴まれ引き寄せられる。 勢いのまま、ぽすんとあたたかい胸に身体が当たった。 「どうやら送電線をやられたらしいな」 ブレーカーを確認してきた、と冷静な声に告げられる。 「懐中電灯はあるか?」 「はい、居間にあります」 「そうか。では、行こう」 先生が私の肩を抱いたまま歩き出す。 迷いのない足取りに、まさかこの暗闇の中で見えているのかと驚いた。 確かに、昔鬼殺隊にいた頃は僅かな月明かりの中で鬼とやりあっていたのだけれど。 「あ、これです」 机の上に置かれていた懐中電灯を手に取り、スイッチを押す。 丸い灯りの中に先生の顔が浮かび上がって、あの印象的な目にじっと凝視されていたのがわかり、ひえっとなった。 「ちょ、怖いです先生!」 「ハハ、すまない!びくびく怯えている君が可愛かったので、つい、な」 「もう!先生の意地悪!」 朗らかに笑う先生の逞しい胸板をぐいぐい押して抗議する。 「これでも、君に無体な真似を働かないように理性の力を総動員しているんだ。許してくれ」 手を握られ、口元へと持ち上げられたかと思うと、そっと指先にキスをされた。 「きょ、杏寿郎さん……!」 「やっと名前を呼んでくれたな」 掴まれた手をそのままに、ぐっと杏寿郎さんの顔が迫ってくる。 「好きだ」 「えっ」 「昔からずっと変わらず君を愛している」 「そ、それは」 「君が何故記憶がないふりをしているのかわからないが、逃がすつもりはない」 私は完全にパニック状態だった。 混乱する私をよそに、杏寿郎さんはますます身を乗り出してくる。 いまや私は杏寿郎さんの腕に腰を支えられてかろうじてバランスを保っていた。 そうでなければ、みっともなく倒れて這いずって逃げ出していただろう。 ──いや、逃げ出せるわけがない。 まるで獲物を見つけた獅子のように獰猛な喜びをあらわにしているこのひとからは。 転生しても炎柱としての風格はいまだ健在だった。 |