初めて会ったとき、しんと静まった 「梔子の香りがする」 膳を運んで来たなまえの手首をぱしりと握って突然そんなことを言いだしたものだから、なまえは内心とても驚いていた。 彼はいつも必要最低限のことしか口にしない。 それが寂しくて、彼がこの藤の花の家紋の家を訪れたときには、なまえは何くれとなく世話を焼きながら彼に話しかけるように心がけていた。 それは彼の身体を気遣う言葉だったり、他愛のない世間話だったりしたが、大抵彼の返事は短く素っ気ないものだった。 お喋りするのが好きではないんだなと納得して、それでも律義に返事をしてくれる優しさを感じて満足していたのだ。 いつしか呼び方も、「冨岡様」から「義勇さん」へと変わっていった。 その義勇が、今日初めて自分から話しかけてくれたのである。 なまえは胸の高鳴りを抑えながら、何とか答えを返した。 「これは、その、胡蝶様がいらした時に頂いた塗り薬の香りです。この時期になると、あかぎれが出来てしまうので」 「あかぎれ……?」 義勇は確かめるように自身の手をなまえの手指に滑らせた。 そのまま指を絡めて白く小さい手を握り込む。 「なるほど。良く効く薬のようだ」 「はい、胡蝶様には感謝しております」 「そうか」 「あの……そろそろ、手を……」 「俺に触れられるのは嫌か」 「いいえっ、そんなことは!」 「それならいい」 義勇は手を離すどころかそのままグイと手を引き、体勢を崩したなまえの身体を自分の膝の上に抱き上げた。 重なりあう体温。 男の人の鍛え上げられて引き締まった硬い身体。 湖水を思わせる青い双眸が近い。 すっと通った鼻筋や薄い唇、綺麗に整った義勇の顔を間近にして、なまえは赤くなった。 慌てて離れようとするが、身体に回された腕はびくともしない。 「は、離して下さいっ」 「触れられるのは嫌ではないと言った」 「そ、それは……」 「あれは嘘だったのか」 義勇は微かに不満そうに柳眉を寄せると、ぎゅうぎゅうとなまえを抱き締めた。 「ち、違います。でも、こんな……恥ずかしい……」 なまえは恥じらい、顔をうつ向けた。 その頬に大きな手を当てて義勇が顔を上げさせる。 先ほどよりもいっそう顔が近い。 「好きだ」 「えっ」 「お前が欲しい」 「ええっ!?」 「今日は嫁入りの日の相談に来た」 あまりの急展開に目眩がした。 「あの、義勇さん」 「なんだ」 「私達はまだ恋仲になってすらいません。ですから、その、嫁入りのお話とかはまだ早いのではないかと……」 「問題ない。既にお前を迎え入れる準備は出来ている」 駄目だ。 話が通じない。 このままではいけないと、なまえは何とか義勇から離れようとした。 すると、腕の力こそ緩まなかったものの、義勇の瞳が僅かに傷ついたように揺れた。 「俺のことが嫌いなのか」 「いえ、嫌いとか、そういう問題ではなく……」 「では、何故逃げようとする」 「わ、わかりました。逃げません、逃げませんから、ちゃんと冷静にお話しましょう!」 「冷静じゃないのはお前だろう」 義勇は心外!と言わんばかりの表情で言った。 「お前はよく俺に話しかけてくれたから、俺と同じ気持ちなのだと思っていた」 そう語る義勇が叱られた子供のように見えて、なまえは胸が痛んだ。 「確かに、私も義勇さんのことが好きです。でも、それは憧れというか……」 好きという言葉に義勇がピクッと反応したのを見て、急いでただの憧れなのだと言い添える。 「どうすれば俺の妻になってくれる」 「そ、それは……」 「俺はいつ死ぬかわからない身だ」 「義勇さん……」 「だから、今すぐお前が欲しい。もう一日たりとも離れていたくない」 義勇は困りきって言葉を失ったなまえを抱き締め、愛おしげに頬擦りした。 思わず固まってしまったなまえの耳元に吐息混じりの美声で低く囁きかける。 「それで、祝言はいつにする?」 |