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※美容室パロ


「いらっしゃいませ」

ドアを開けて店内に入ると、すぐに真菰さんの愛らしい声に迎えられた。
フロント担当の彼女は、有名企業の受付嬢も敵わないほど愛嬌があり可愛らしい。
文字通りこの美容室の看板娘だ。

「14時に予約していた苗字です。ちょっと早く着き過ぎちゃってすみません」

「お待ちしていました、なまえさん。いつも通り義勇をご指名ですよね」

真菰さんは少し困ったように微笑むと、店の奥へと目を向けた。

「ごめんなさい。まだ前のお客様が終わっていなくて」

真菰さんの声に被さるように知らない男の人の声が聞こえてきた。

「流麗!!練り上げられた手技だ、素晴らしい!」

見れば、鏡の前に座った男性客と、その背後に立っていままさにカットの最中の義勇さん。

「俺は喋るのが嫌いだから話しかけるな」

「そうか、お前は喋るのが嫌いなのか!俺は喋るのが好きだ!」

「何度でも指名するぞ、お前を!!」

うわあ……義勇さん、苦手なタイプのお客さんに絡まれてる。
いつもの凪いだ水面のような表情はどこへやら。義勇さんは思い切り嫌そうな顔してるのに、男の人は全く気にする素振りはない。
気付いていないのか、わかっていてやっているのか。
後者ならかなりタチが悪いぞ。

義勇さんがちらりとこちらを見た。
かわいそうだけど助けてあげられないよ……。

頑張って!と口ぱくで応援すると、義勇さんは何とも言えない表情で小さく溜め息をついた。
その間もカットしている手は止めない。
さすがプロ。
客商売のつらいところである。

結局そのお客さんはカット後のシャンプー中も、その後のブロー中も喋り続け、「必ずまたお前を指名する」と宣言して満足そうに帰って行った。

手を洗って準備を終えた義勇さんが私のところにやって来る。
髪の状態を確認するように義勇さんが手櫛で私の髪を優しく梳いた。

「今日はカットだけか」

「はい、お願いします」

義勇さんについてシャンプーブースに向かう。
照明を落としたそこはちょっとしたリラックス空間だ。
私に椅子に座るよう促した義勇さんは、流れるような動作でケープをかけた。
首周りにタオルを巻いたかと思うと、義勇さんはそのまま私の身体に腕を回して、肩口に顔を埋めてしまった。

私は小さく笑って、義勇さんの頭をよしよしと撫でた。

「お疲れさまです」

「……ああ」

「今日、夕食作りに行きますね。何がいいですか」

「鮭大根」

「わかりました。もうちょっと頑張って下さい」

「……わかった」

もう一度頭を撫でると、義勇さんは私の肩口にぐりぐりと額を擦りつけた。

「義勇ってば、なまえさんに甘えちゃってる」

「未熟。仕事中に恋人に甘えるなど、男ではない」

錆兎さん厳しいなあ。
でも、口ではそう言いながらも錆兎さんも義勇さんのことを心配しているのはわかっていますからね。
ここのスタッフは皆、店長の鱗滝さんに育てられた兄弟のようなものなのだから。

「あまり情けないところを見せていると嫌われるぞ」

「俺は嫌われてない」

私から身を離した義勇さんが椅子を倒して私の顔にガーゼを乗せる。
生え際から毛先に向かって髪を撫でつけながら、シャワーの湯をかけていく。
ただ洗い流しているだけなのに、うっとりしてしまう。
それくらい優しい手つきだった。

しかし、まだシャンプーは始まったばかり。

ちゅるちゅるとシャンプーを手に取った義勇さんは、やはり生え際から撫でつけるようにして髪全体に塗り広げると、指の腹でシャカシャカと髪を洗い始めた。
弱すぎず強すぎず、ちょうど良い力加減だ。
時折ツボ押しを交えつつ、洗い残しなどないように隅々まで丁寧に指を走らせていく。
耳の後ろもコシコシ。

「気持ち悪いところはないか」

「大丈夫です」

そんなに縦横無尽にゴシゴシされたら痒い場所なんてないです。
心地よい眠気に身を任せている間にシャワーで綺麗に洗い流された。
もちろん、手の平にお湯を溜めての後頭部タプタプも。
その後、コンディショナーをつけて、再度お流し。
タオルで髪を拭かれて、耳もくるりんと。
ガーゼを取られ、椅子が上げられる。

ふわふわした気分のまま鏡の前のカット席に移動した。

鏡越しに義勇さんと向かい合う。
湖水の蒼がじっと注がれている。
毎度のことながらこの瞬間は緊張してしまう。
髪に触れる手は、この上なく優しい。
まるで壊れ物を扱うような触れ方に胸が高鳴る。
ベッドでの義勇さんを思い出してしまって。

「どれくらい切るんだ?」

「あ、前回と同じくらいでお願いします」

「わかった」

答えた義勇さんの声が聞こえた時にはもう髪をシャキリと切られていた。
シャキ、シャキ、と小気味良い音が鳴る度に伸びた髪が切り落とされていく。

「どうぞ」

真菰さんがお茶を淹れてきてくれた。

「ありがとうございます」

三分の一くらい飲んでから鏡の前に置く。

真剣な顔つきで髪を切り揃えている義勇さんの顔をそっと盗み見る。
相変わらず綺麗な顔だ。
普段からカッコいいけれど、仕事中は三割増しくらい素敵だった。
お金を払って、仕事をしている義勇さんを見に来ているようなものだ。

「これでいいか?」

「あっ、はい」

頭の左右に手を添えて、義勇さんが鏡越しに確認してくる。
私は頷いて髪に手をやった。

「義勇さん、凄いです。理想通りに仕上がってます」

義勇さんが満足そうに表情を緩める。
そうすると、冷たそうな雰囲気が和らいだ。

ああ、この顔も好きだなあ。

「もうキスをしてもいいか」

「……義勇」

錆兎さんが睨んでるから、おうちに帰ってからにしましょうね。

そうだ、帰りに鮭大根の材料買って帰らないと。


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