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初めて出逢ったのは藤の花が咲き乱れる庭でのことだった。

なまえの家は門戸に大きく藤の花の家紋を掲げている。
これはかつての当主が鬼狩りと呼ばれる鬼殺隊の隊員に命を救われたことに由来している。
以来、この家の者は代々、鬼と戦う彼らを受け入れてその世話役を担ってきた。

「鬼狩り様がいらしているから、粗相のないようにね」

湯を沸かす用意をしながら母にそう言われ、なまえも何か自分に出来ることはないかと厨に向かったのだが、そこではもう使用人達がきびきびと忙しく立ち働いていて、お嬢様は危ないですからと体よく追い出されてしまった。

そこでなまえは、風呂に入るのなら着替えと拭く物が必要だろうと、それらを用意して風呂場へ向かった。
ふかふかのタオルは西洋品店で買い求めたとっておきだ。

その途中のことだった。

小雨が降る中、庭に佇む男の姿を見つけたのは。

白い羽織の下に見えるのは間違いなく鬼殺隊の隊服だ。
では、彼こそが、いま家の者が総出で迎えている『鬼狩り様』なのだろう。
小雨とはいえ、このまま濡れ続けたら風邪をひいてしまうかもしれないと、渡り廊下から庭に降りて、その人の元に歩み寄る。

「あの、鬼狩り様」

炎を思わせる金と朱の髪に彩られた精悍な顔立ちをした男がこちらへ振り向いた。

目と目が合う。

その瞬間、全ての音が遠退き、時が止まったかのような錯覚を覚えた。

「君はこの家の娘か」

一瞬の沈黙の後、男がそう尋ねてきたことで、はっと我にかえる。
なまえは頷いて男の問いかけに応えた。

「はい。なまえと申します」

「俺は炎柱、煉獄杏寿郎だ。今日は世話になる」

「どうかお気になさいませんよう。我が家と思って、ごゆっくりお寛ぎ下さい」

「うむ、ありがとう!」

そうして満面の笑顔を見せた煉獄は、先ほどまでと違ってあどけなく見えた。
もしかすると、自分とそれほど歳が変わらないのかもしれない。
まだ若いのに柱を任されるくらいだ。相当な実力者なのだろう。

「あの、煉獄様、こちらにいらしては濡れてしまいます。いま湯を沸かしておりますので、そちらへ……」

「ああ、すまない!気を遣わせてしまったな。こちらの藤の花があまりに見事なので見惚れていた!」

「そうでしたか。ありがとうございます。私が世話を任されている花なのです」

「そうか、道理で」

煉獄は藤の花からなまえに向き直って言った。

「君が庭に現れた時、一瞬、藤の花の化身かと思って見惚れてしまった。この見事な藤に劣らず、なんと美しいひとなのだろう、とな」

「れ、煉獄様?」

「どうやら俺は君に一目惚れしてしまったらしい」

「えっ!?」

「俺と夫婦めおとになって貰えないだろうか!」

「そんなっ、あの……あの……」

「うん?」

「お風邪を召しませんようにっ」

なまえは持っていたタオルをばふっと煉獄の頭に被せると、走ってその場から逃げ出してしまった。

「逃げられてしまったか!よもやよもやだ!」

煉獄の快活な笑い声を背中で聞きながら、なまえはドキドキとうるさい胸を両手で押さえつけた。
これではまるで自分も煉獄に恋をしてしまったようではないかと戸惑う。

しかし、それで終わりではなかった。

どうやら煉獄はなまえの両親に自らの想いを率直に打ち明けたらしく、なまえは綺麗に化粧を施され、めかしこんだ姿で、昼の膳と共に煉獄の前に引き出されたのだ。

「その格好も可愛らしいな!良く似合っているぞ、なまえ!」

ご満悦な様子で、煉獄は出された食事をたいらげた。

「とても綺麗だ」

穏やかな声で褒められたなまえは、顔から火が出るかと思った。

それ以来、煉獄は多忙な柱の任務の傍ら、時間が許す限り足しげくなまえの元に通うようになった。

「この反物で着物を作るといい。出来上がったら、俺に着て見せてくれ!」

「そんな……こんな高価なもの、頂けません」

「祝言はいつ頃がいいだろうか!」

「聞いて下さい、煉獄様」

「聞いているとも。君の愛らしい声は聞いていて飽きない」

「もう……煉獄様っ」

「杏寿郎と呼んでくれ、なまえ!」

毎度こんな調子なので困ってしまう。
両親は両親で、すっかり乗り気なので、なまえに味方してくれる者はいない。

そんなある日のこと。

「これを」

任務に向かう途中で立ち寄ったという煉獄は、なまえに鼈甲の櫛を渡して言った。

「苦しくても共に死ぬまで添い遂げよう」

櫛を受け取ったなまえの手を自らの手で包み込むようにして、優しく真摯に口説かれたなまえは、もう駄目だと思った。

これほどまでに想われたら、もう降参するしかない。

「はい、杏寿郎様」

「やっと良い返事が聞けたな!」

朗らかに笑って煉獄がなまえをそっと抱き締める。

「出来れば、今すぐにでも君を俺のものにしてしまいたいが……」

「これから大事な任務に向かわれるのですよね。大丈夫です。お帰りをお待ちしています」

「ありがとう。必ず君のもとへ帰って来る。帰ったら、直ぐに祝言を挙げよう。これからは、ずっと一緒だ」

「はい……はい、杏寿郎様」

「では、行って来る」

あっという間に姿を消してしまった煉獄に、そんなに急がなくてもいいのにとなまえは笑ってしまった。
まだ身体に煉獄のぬくもりが残っている。

「早く、早く帰ってきて下さい、杏寿郎様」



なまえの元に煉獄の訃報が届いたのはその翌日のことだった。

更にその後、竈門炭治郎という少年が訪ねて来るまで、なまえは毎日泣き通しだった。




約束が果たされたのは、百年後。
藤の花ではなく、キメツ学園の敷地内に咲く満開の桜の花の下でのことだった。


(うるはし炎様提出作品)
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