「あれ?」

診察室に入ると、いつものおじいちゃん先生ではなく、白衣を着た肩までの黒髪の若い男性がドクターチェアに座っていた。
目が合った瞬間、何故かゾクッと背筋に寒気が走り、困惑する。

「あの…いつもの先生は…?」

「体調が悪いそうで、今日はぼくが代診しています」

「そうなんですか。すみません、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」

代診を任されたという先生は、にっこりと微笑んだ。
物腰も柔らかくて感じの良さそうな先生なのに、さっきはどうして寒気を感じたりしたのだろう。

「今日も頭痛が酷いのですか」

パソコン画面を見た先生が言った。

「はい…こうしてお話していてもズキズキしていて辛いです」

「それなら今日は注射しましょうか」

「えっ…注射、ですか?」

「ええ、すっきりしますよ」

今まで頭痛の診察で注射を勧められたことは一度もなかったので戸惑っていると、先生は優しく微笑んで首を傾げてみせた。

「早く治したくありませんか?」

「…わ、わかりました。お願いします」

「では、そこに横になって下さい」

促されるままに靴を脱いで診察台に上がり、仰向けに寝る。
立ち上がった先生が注射の準備をしているのが見えた。
手慣れた手つきに少しほっとする。

「力を抜いていて下さい」

「はい…」

先生は、消毒した腕に手早く注射針を刺して薬液を注入してすぐに引き抜いた。
じわりと赤い血の玉が滲み出る。
しかし、次の瞬間にはもう既にシール状のパッチが貼られていて、その手際の良さに安堵した。

「すぐによくなりますからね」

先生が私の額を覆うように手を伸ばしてきて、親指と中指で両側のこめかみを同時に押さえた。
先生が手を離すと、嘘のように頭痛が消えていて驚く。

「どうです、痛くなくなったでしょう」

「はい。もう全然平気です。嘘みたい」

ふふ…と笑った先生の顔がぼやけて見える。
視界が歪んでいるのだと気がついたが、何故かと考える暇もなく私は意識を失っていた。

「問題ありません。ぼくが運びます」

衝立の後ろから現れた部下に短く告げて、医師に扮していたドストエフスキーは白衣を脱いだ。
いつものコートを羽織り、帽子を被ってからなまえを身体をそっと抱き上げた。

まさかこれほど上手くいくとは。

あまりにもあっさりと拉致出来たことに、思わず笑みが漏れてしまう。

「貴女はとてもあたたかいですね」

眠るなまえに頬を擦り寄せて、ドストエフスキーは満足げに息をついた。

「さあ、行きましょうか。なまえさん」


その後の彼女の行方は、杳としてしれない。


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