※夏油生存教師if 二泊の用意をしておいでと言われて連れて来られたのは、高専からかなり山奥まで車で行った先にある、山間の温泉郷だった。 いわゆる隠れ家旅館というものらしく、客室は全て離れ仕様で、各部屋に専用の露天風呂付きという徹底ぶりだ。 離れはそれぞれがかなり距離を空けて配置されているため、プライバシーはしっかり守られそうである。 「素敵な所ですけど、本当にこんなところに呪霊が出るんですか?」 豪農だったかつての領主の館を改築したのだという本館で女将さんから一応説明を受けものの、いまいちピンと来ない。 「出るよ。どうやら露天風呂の辺りのようだね。かなり薄いけど気配を感じる」 言いながらその露天風呂がある方角へ歩き出した夏油先生の後ろをついていく。 さすがに特級呪術師ともなるとどれほど薄い気配であっても見逃さないようだ。 今日は特級のお仕事の見学という名目で夏油先生に同行している。 先生をサポートなんておこがましいことは言えないまでも、せめて邪魔にならないようにはしたい。 「ここか」 夏油先生が足を止めたのは、湯煙が立ち込める広々とした岩風呂の前だった。 お湯の色は乳白色で、いかにも気持ち良さそうな温泉だ。任務で来ているのでなければゆっくり浸かれたのにな。 「入るのは構わないけど、ここ混浴だよ」 「えっ」 心を読まれた驚きよりもその事実のほうが衝撃的だった。こんな高級そうな宿なのに混浴の露天風呂なんてあるんだ。 「だからかな。『そういう』呪いが溜まっているのは」 その時になってようやく私も感じた。どろりとした粘つく気配を。これは残穢じゃない。今まさにここにいる呪霊から漏れ出ているものだ。 私が身構えるより早く、夜の闇の中から白い粘液が私に向かって放たれた。が、それは先生が喚び出した呪霊によって私に当たることなく、ビチャビチャと嫌な音を立てて湯の中へと落ちていった。 「女性を狙うなんて感心しないな」 冷たく言った夏油先生と私の前に、それが姿を現した。 白く痩せた老人のような見た目だが、脳みそが剥き出しになっている頭部がやたら大きくて目がない。 その呪霊は威嚇の奇声を上げると、口から弾丸のように白い粘液を吐き出した。 難なく避けた夏油先生の背後から手足のように触手が伸びて呪霊を攻撃する。それは呪霊の身体を貫通して、聞くに耐えない苦痛の叫び声を轟かせた。 猿のように身を縮めた呪霊が黒いもやへと変わり、夏油先生が挙げた手の平の上にしゅるしゅると収縮していく。 黒い玉の形になったそれを夏油先生はさりげない動作でポケットにしまった。 「終わったよ。お疲れさま」 「あっという間でしたね。凄いです」 「まあね。あの攻撃を受けていたら、ちょっと面倒なことになっていたかもしれないけど」 「あの白い粘液ですか?」 「そう。催淫効果があるみたいだから」 直撃しなくて良かった……。夏油先生の前で恥ずかしい姿をさらしてしまうところだった。 「あれ?残念って思った?」 「お、思ってませんっ」 その後、呪霊を祓ったからもう怪異は起きないということを女将さんに報告すると、物凄く喜ばれてお礼を言われた。 それから、どうぞごゆっくりしていって下さいと離れの一室に通されたのだが。 ──お布団が二組、くっついて敷かれている! 「もう、夏油先生、笑わないで下さい!」 可笑しそうに笑っている夏油先生と目が合わせられない。 「ごめんごめん。なまえの反応があまりにも可愛かったから、ついね。心配しなくても何もしないから大丈夫だよ」 「先生の意地悪!」 「ふふ……そういうところだよ、なまえ」 夏油先生にからかわれてしまったのは悔しいが、その後出された宿の食事はとても美味しかった。 山の中の温泉宿ということで、やはりメインは山の幸だ。 自分ではこんな手のこんだ事は出来ないなと思うほど凝った前菜の数々に始まり、温かい汁物に、焼いたイワナに特製味噌をつけたもの、そして囲炉裏にかけた鍋で野菜とほうとうの鍋も頂いた。 人間の身体とは不思議なもので、美味しい食事でお腹が満たされる頃には、私はすっかりリラックスしていた。 元々本気でヘソを曲げていたわけではないし、何よりせっかくの温泉なのだから楽しまなければ損だ。 「先生、温泉どうしますか?」 「私は後で構わないから、ゆっくり入っておいで」 夏油先生にお礼を言って、早速部屋付きの露天風呂に向かう。 洗い場で髪と身体を洗ってから入った露天風呂は、ちょっと熱めだけどとても心地よかった。何より、雪見風呂は初めてだったので、湯に浸かりながら雪景色も堪能出来た。 「先生、お先にありがとうございました」 「ああ、じゃあ、私も入って来ようかな」 温泉を出て部屋に戻ると、入れ替わりに夏油先生が脱衣所に入っていった。 温泉に浸かる夏油先生の姿を想像しかけて慌てて頭を振って打ち消す。 先に布団に入っているというのも失礼な気がしたので、炬燵に入ってお茶を飲みながら待っていると、それほど経たずに夏油先生は戻って来た。 寝間着代わりの浴衣姿で。 「すまない、待たせたね。先に寝ていても良かったのに」 「あ、いえ」 どうしよう。あまりにも色っぽくて直視出来ない。 洗いざらしの長い黒髪だとか、湯上がり特有のほのかに上気した肌の色だとか。趣味が格闘技というだけあって、浴衣の上からでも鍛え抜かれたものと一目でわかる身体つきだとか。 夏油先生を構成する何もかもが色気に満ち溢れていて、心臓が痛い。 「なまえ」 ハッと我にかえると、夏油先生は布団の上にいて、毛布と掛け布団を捲りながら私を見つめていた。 「おいで」 蕩けるような甘く優しい声に誘われて、ふらふらと先生のもとへと歩いていく。 自分の身体が自分のものではなくなってしまったみたいに足が勝手に動いてしまっていた。 布団の上に座った私を掬い上げるようにして抱いた夏油先生が布団の中に入る。 「いい子だ。君は本当に可愛いね」 布団の中で夏油先生に後ろから抱き締められる形になった私に、先生が笑みを含んだ声で甘く囁く。 首筋に柔らかな唇が触れて、くすぐったい、と首を竦めれば今度は耳を食まれた。 お腹に回されていた先生の大きな手が上に這い上がり、浴衣の上からやわやわと私の胸を揉む。 「な……何もしないって……」 「これくらいは何かしたうちに入らないさ」 耳元で先生が含み笑う。確信犯の笑みだと思った。大人ってずるい。 夏油先生の脚に挟まれた脚や密着した身体から先生の体温が伝わってきて、そのあたたかさに強張っていた身体から力が抜けていく。 「私があたためてあげるから、安心しておやすみ」 ふかふかのお布団と夏油先生の体温による相乗効果でぬくぬくして気持ちがいい。 「明日になったら手を出さないとは約束出来ないけど、構わないだろう?」 明日はバレンタインだからね、と夏油先生が笑う。 「チョコより甘い君が食べたい」 夏油先生にしっかりと抱き込まれたまま、私は明日先生に渡そうとバッグに忍ばせてきたチョコのことを考えていた。 このままいくと、チョコを渡す前に私自身が先生に食べられてしまうのではないだろうか。 そう考えると、嬉しいような、幸せなような、それでいてちょっぴり困った気持ちになったのだけど、夏油先生が幸せそうに笑っていてくれるから、それでもいいかなと思ったのだった。 |