※業火に白百合を捧ぐ の続き 2月14日 三年生はもう自由登校の期間に入っているのだが、今日はバレンタインとあって、登校して来ている生徒は多い。 かくいう私もその一人だ。 廊下を歩きながら片手でスクールバッグの中を確認する。 大丈夫、ちゃんと入っている。 ラッピングされた袋の中身は、さつまいもとチョコチップのカップケーキ。 誰に渡したいかなんて、言うまでもない。 でも、実のところ、渡そうかどうしようか迷っていた。 『煉獄先生』は学園の人気者だ。 男女問わず生徒達から慕われていて、去年のバレンタインには28個もチョコを貰っていた。 それを知った時、この想いは忘れてしまおうと心に決めた。 先生にはいまの時代での新しい人生がある。 そもそも、前世で継子だった時から所詮叶わぬ想いだったのだ。 忘れてしまうのが一番いい。 そんなことを考えながら歩いていると、窓の外、木立の下に見慣れた色を見つけた。 金と赤の髪。煉獄先生だ。 先生の前には女生徒が一人立っていて、何やら紙袋らしきものを先生に向かって差し出している。 好きです 聞こえないはずの声が聞こえた気がして、慌てて窓から離れ、その場から立ち去る。 見なければ良かったとしきりに痛む胸を押さえながら廊下を曲がったところで、危うく誰かにぶつかりそうになった。 「すみません!って、あれ?なまえさん?」 「善逸くん!ごめんね、大丈夫だった?」 「大丈夫です。音が聞こえたんで、ぶつかる前にわかりました」 そうか。善逸くんは耳が良いんだった。 「何かありました?俺でよければ聞きますよ」 善逸くんが心配そうに尋ねてくる。 そんなことまでわかっちゃうんだ。凄い。 「ううん、平気。それより、お詫びと言ってはなんだけど、これあげる」 私はスクールバッグの中から煉獄先生に渡すはずだったカップケーキが入った袋を取り出して善逸くんに差し出した。 「ええっ!?なまえさんが俺に!?どうしよう、俺には禰豆子ちゃんという人が!」 「義理だから」 「ですよね!」 それでも嬉しいですと笑った善逸くんが袋を受け取ろうとした時。 「悪いな、我妻少年」 「ひえっ!?」 「これは俺のものだ」 いつの間に下から上がって来たのか、間に割って入ってきた煉獄先生がカップケーキの袋をひょいと取り上げた。 そうして、唖然としている私の手を掴んで歩き出す。 「来なさい。君に話がある」 すたすたと歩いていく先生に半ば引きずられるように小走りになりながら、私は善逸くんを振り返って、ごめんねと謝った。 廊下にぽつんと取り残された善逸くんの姿がどんどん遠ざかっていく。 「なんて恐ろしい音させてんだよ煉獄先生……嫉妬こわっ!」 連れて来られた場所は社会科準備室だった。 私を先に中に入れた先生が、後ろ手にドアを閉める。カチリと鍵を掛けた音がやけに大きく響いた。 「先生……なんで、鍵」 「逃げられては困るからな」 逃げなければならないような話をされるのだろうか。 びくついている私を見て、煉獄先生は表情を和らげた。困ったように微笑む。 「これは、君が俺のために用意してくれたものだろう?」 「28個も貰えるんだから要らないでしょう」 「君から貰えなければ意味がない」 猛禽類を思わせる炎の色をした眼が私をひたと見据えていた。 「前にも言ったな。君が何故記憶がないふりをしているのかわからないが、逃がすつもりはないと」 「そ、それは……」 「こうも言ったはずだ。昔からずっと変わらず君を愛している」 煉獄先生がカップケーキの袋を持ち上げて見せる。 「君も同じ気持ちだと思ってもいいのだろうか。それとも、俺の勝手な思い込みか?」 否定するのは簡単だった。 何を言っているんですか、先生。これはいつもお世話になっているお礼ですよ、と。 でも、出来なかった。 煉獄先生が……杏寿郎さんが、あまりにも悲しそうな顔をしていたから。 「……私も杏寿郎さんが好きです」 「では、」 「でも、だめなんです。杏寿郎さんには、いまの人生があるから……過去のことは忘れて、幸せになってほしいから」 「君のいない人生が幸せであるはずがない。君がいなければ駄目だ」 「杏寿郎さん……」 「何度でも言おう。俺は君を愛している。これからの人生を俺と共に歩んでほしい」 「プロポーズみたい」 「無論、そのつもりだ」 杏寿郎さんに抱き締められる。 やんわりと、けれども、絶対に逃げ出せないくらいの力をこめて。 「卒業したら正式に申し込むつもりだったのだが、よもやよもやだ!」 朗らかに笑う杏寿郎さんにつられて、私も思わず笑みを漏らした。 何だかあれこれ思い悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。 「好きです、杏寿郎さん。大好き」 「むう、困った!君が愛おしすぎて、教師である立場を忘れてしまいそうだ!」 もちろん、誠実な杏寿郎さんが、足を踏み外すわけもなく、その後は和やかに昔から現在にかけての積もり積もったお互いの気持ちを語り合うだけでとどまった。 さつまいものカップケーキを食べた杏寿郎さんの、わっしょいわっしょいという喜びの掛け声が準備室の外まで聞こえていたと後日わかって、少しだけ照れくさい思いをしたのだが、それもまた、彼と二人で歩んでいく長い人生の想い出のひとつとなったことは言うまでもない。 |