その日、ウィルトシャー州にある邸宅では、華やかな宴が行われていた。 室内に響く、弦楽器とピアノによる華麗な調べ。 笑いさざめきながら談笑する人々。 彼らの会話の中心にいるのは、この屋敷の主であるアブラクサス・マルフォイだ。 彼は、すらりとした長身の美青年で、混じりけのないプラチナブロンドと、薄氷を思わせるアイスブルーの瞳の持ち主だった。 美しく引き締まった見事な体躯と、冷酷にも見えるその美貌は、この場にいるすべての女性達の興味をそそったが、彼はそんな女性達の熱い眼差しを柔らかな物腰で優雅にかわしている。 ふと、何処からか現れた男が一人、人々に囲まれたアブラクサスに近づいたかと思うと、他の人間には聞こえない低い声で何やら耳打ちした。 役目を終えた男が離れていくのと同時に、アブラクサスが周囲の人間を見回す。 「失礼。急な用事が入りましたので少々席を外します。どうかこのまま楽しんでいて下さい」 残念がる女性陣から漏れた溜め息を無視して、彼は会場を出ていった。 人々から離れた途端、その端正な顔立ちから瞬く間に微笑が消え失せる。 必死で媚びを売る女達には心底うんざりしていたのだ。 どれほど美しくとも、その行為次第では卑しいものに成り果てる。 腐った百合は雑草よりも酷い悪臭を放つものなのだ。 そして今から向かう先には、そんな醜さとは無縁の唯一無二の存在がいるのだった。 ひとつだけ確かなこと。 それは、白い猫はなんにも関係なかったということ。 なにもかも黒い猫のせいだったのです 童話のそんな一文がなまえの頭をよぎった。 「アブラクサスには大切にされているようで何よりだ」 冷たい指が、頬から顎にかけてのラインをゆっくりとなぞる。 ランプの明かりに照らされた男の顔は、陰影がついたことで、いっそ寒気がするくらいの美貌に見えた。 楽しげに細められた二つの瞳の中で、紅い光がチラチラと瞬いている。 「鼓動が早い。もうその気になったのか?」 「…ト、」 「そうだろうな。快楽に溺れるよう、僕が育てたのだから」 喉へと伝い落ちた指先は、そのまま夜着の胸元に滑り降りていく。 波打つ膨らみを悪戯に撫でた男の顔がそっと近づいてきて、唇と唇が重なった。 甘く冷たい毒があるとすれば、この男の口付けこそがまさにそれだ。 「……暫く行方不明になっていたと思ったら、わざわざ苛めにきたの?」 「怒るな。だからこうして会いにきてやっただろう」 唇を柔く食んで笑ったリドルが、なまえの口に何か小さな塊を押し付ける。 「?」 するりと口の中に入りこんできたそれは、甘いチョコレートだった。 「我が君…!」 解っていても、やはり心臓に悪い。 知らせを受けて部屋にやってきたアブラクサスは、本当にその人物がその場にいるのを目にして僅かに動揺した。 黒いローブの上に同じく漆黒の外套を纏い、寝台の傍らに佇む青年。 横たわるなまえの上から身を起こした拍子に、さらりとした黒髪が揺れ、闇を凝固したような眼差しがアブラクサスを射る。 「アルバニアにおいでだと伺っておりましたが」 「なに、鳥籠の鳥の様子を見に来ただけだ」 男の声は低く、まるで天鵞絨ように滑らかで深みがあったが、恐ろしいほど凍てついていた。 「たまには餌を与えてやらなくてはな」 なまえはむっとした顔をしたが、リドルは涼しい顔でアブラクサスを見据えたままだ。 「それは──」 「責めているわけではない。お前が存分に可愛がってやっているのは見ればわかる。これからも大切にしてやれ」 「はい、我が君」 アブラクサスは恭しく頭を垂れた。 この男が何を思ってアブラクサスに“共有”を許しているのかは解らない。 きっと一生理解出来ないままだろう。 あるいは単に気まぐれなのかもしれない。 アブラクサスには今の状況に何一つ不満はないのだから、どうでも良い事だ。 寝台に歩み寄り、愛しい女の頬を撫でる。 「誰よりも、何よりも、大切に致します」 たとえそれが貸し与えられた幸福であったとしても構わない。 |