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調べ物をするのに時間がかかってしまい、閉館時間ギリギリに大学の図書館を出た。

近道をしようと、いつもは通らない暗い道を選んだのが運の尽きだったのかもしれない。
幸か不幸か、その人を見つけてしまったのだから。

電柱の根元に寄りかかるようにしてぐったりと座り込んでいた男性を見つけた私は、急いで彼に駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

見た感じ全く大丈夫そうではなかったが、意識の有無を確認するために声をかける。
彼は全身傷だらけで血塗れだった。

「これを……」

男性が苦しそうな息の下から声を振り絞って、私に何かを差し出す。
それはSDカードに似ていた。

「これを、首領に……森鴎外様に……」

聞き間違いだろうか。
それとも、有名な文豪と同姓同名の人物がいるということだろうか。
いや、それよりも早く救急車を呼ばなくては。

「いま救急車を呼びますから、頑張って下さい」

スマホを取り出そうとした私の腕を掴んで止めた彼は、そのまま私の手にSDカードらしきものを握らせた。

と、その時、こちらに向かって走って来る複数人の足音が聞こえてきた。
男性の顔が苦痛と焦りに歪む。

「頼む。必ず渡してくれ」

男性がそう言うと、突然奇妙な浮遊感が私の身体を襲った。

──地面が消えている?

真っ暗な穴の中に落ちて行く寸前、「いたぞ」「こっちだ!」と叫ぶ声が聞こえた気がした。

悲鳴をあげる間もなかった。

次の瞬間には、私の身体はどこかの建物の部屋に移動していたからだ。

天井近くから落下した私の身体を、偶然下にいた見知らぬ男性が抱き止めてくれた。

「ボス!」
「首領!」

ドアの左右に控えていた黒服の男性達が一斉に気色ばんで銃を構えたのを見て、ひえっと青ざめる。
私をお姫様抱っこする形になっていた男性が、それを目線だけで制する。

部下らしき人達が銃をしまったのを確認してから、男性はそっと私を下におろしてくれた。
見れば、部屋の中には他にももう二人若い男性がいた。
一人は黒いロングコートを羽織って片目や手に包帯を巻いている人。
もう一人は明るい色の髪に帽子を被っている人。
包帯の人は興味深そうに私を見ている。
その視線に何故かゾッとした。

「お嬢さん、どちらからいらしたのかな?いまの状況を説明出来るかい?」

小さな子供に話しかけるような優しい声に促されて、私は先ほど自分の身に起こった出来事を彼に話していた。

「君が助けようとしてくれたのは私の部下だ。重要な任務についていたのだが……そうか、彼は君にそれを託したのだね」

私の手から例のカードを受け取った男性は、痛ましいものを見るような目をそれに向けて言った。

「自己紹介が遅れて申し訳ない。私は、このヨコハマに拠点を構えるポートマフィアの首領で、森鴎外という」

「あ、苗字なまえです。ここは横浜なんですね」

「そう、魔都ヨコハマにあるポートマフィアの本部ビルの中だ」

……まと?
横浜にマフィアがいたことにびっくりしたが、まさかいますぐどうにかされるということはないだろう。

「君には酷な話かもしれないが、よく聞いてほしい」

森さんが言った。

「ここは君が知っている横浜ではない。君がいた世界から見れば異世界にあたる、もうひとつのヨコハマだ」

「えっ」

「森さん、急にそんなこと言われても理解出来ないよ。混乱してるじゃないか」

包帯の人が面白がっている口調で言った。

「中也、見せてやりなよ」

「俺が?」

帽子の人は嫌そうな顔をしたが、森さんの視線を受けると表情を改めて私に向き直った。

「いいか、見てろよ」

帽子の人が触れた椅子がふわりと宙に浮き上がる。
そのまま左右に行ったり来たりさせながら帽子の人が言った。

「これが俺の異能だ。重力を操る」

「わかったかい?この世界には彼のような異能力者がごろごろしているんだよ」

「しかも、手前をこっちに送った奴がいねえと元の世界に戻ることも出来ねえ」

「そんな……」

絶句する私の肩に優しく手を置いて森さんが言った。

「君の身柄は私が責任を持って預かろう。いつ帰れるとは約束出来ないが、それまで客人としてゆっくり滞在していくといい」

森さんの優しい言葉もどこか遠くから響いているように聞こえる。

異世界。異能力者。

まさか、本当にこんなことが自分の身に起きるなんて。

「すぐに部屋を用意させよう。お腹はすいていないかな?」

そう尋ねてくる森さんに、首を振って答えるのが精一杯だった。

中也と呼ばれていた帽子の人が気の毒そうな目で私を見ている。
口調は乱暴だが気の良い人なのかもしれない。

「相当ショックを受けているねえ。かわいそうに」

かわいそうにと言いながら、包帯の人は実に楽しそうな口ぶりだ。

「こら、太宰くん」

森さんに諌められてもにこにこしながら私を見ているこの人は太宰くんというのか。

「太宰くん、中原くんも、仲良くしてあげるんだよ」

ごめんなさい森さん。
太宰くんとは仲良く出来ないかもしれません。


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