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野菜を洗い終えたら、いざボルシチ作りの始まりだ。

じゃがいもとニンジンは皮を剥いて食べやすい大きさに切る。
キャベツは3センチ四方くらい、玉ねぎもキャベツと同じくらいの大きさに切る。
にんにくはつぶす。
ビーツは大きいものは食べやすく切る。

ちなみに、ビーツを入れると、スープが美しい深紅色になって華やかになるそうだ。
トマトも入れるから、レシピを見るまでは赤いのはトマトの色なのだと思っていた。

次は鍋にバターとオリーブオイルを入れて中火で熱し、牛肉を炒める。
肉の色が変わったらにんにく、じゃがいも、ニンジン、キャベツ、玉ねぎを加え、全体に油がなじむまで炒める。

水、ホールトマト、ビーツ、固形スープの素、ローリエ、塩小さじ1を加えて、煮立ったらふたをして弱火にし、30分煮る。

「なまえさん、お腹がすきました」

弱火で煮込み始めたタイミングで、背後から声をかけられた。

「もうちょっと待って下さいね」

動揺を押し隠してそう答える。
さっきまでパソコンの前に座って何やら調べていたはずなのに、いったいいつの間にキッチンに来たのだろう。
声をかけられるまで全く気がつかなかった。

「懐かしい匂いがします」

フョードルさんはそう言って私のお腹に手を回し、背中にぺったりくっついてきた。
えっ、ちょっと、いきなり近すぎませんか。

「あ、やっぱり匂いとかでわかります?」

「ええ、そうですね。欲をそそる良い香りがします」

お腹に回されたフョードルさんの手を外そうと四苦八苦しながら尋ねれば、そんな答えがかえってきた。
彼は少食だから、食欲をそそられるのは良いことだ。
いつもよりたくさん食べられるといいな。

それにしても、全然力を入れているように見えないのに、なかなか手が外せない。

「フョードルさん、くっつかれたら洗い物が出来ません」

「いまのぼくは故郷を思い出して懐かしんでいる独りの孤独な男です。少しくらい甘やかしてくれてもいいじゃないですか」

そう言われてしまうと、確かにかわいそうな境遇ではあるので、あまり強く出られない。

「しょうがないなあ……よしよし、大丈夫ですよ。私が一緒にいます。フョードルさんは独りぼっちじゃないですからね」

お腹に回されたフョードルさん手をよしよしと撫でる。
すると、頭の真上から小さく含み笑う声が降ってきた。

「ちょ、なんで笑うんですか!」

「すみません。貴女が想像以上に優しかったので、つい」

「もう……」

わかったから、頭に頬擦りするのはやめて下さい。
料理中にくっついてきていちゃつくなんてカップルみたいじゃないですか。

「そろそろ煮えてきたのでは?」

「あ、本当だ」

私は鍋の蓋を開けると、塩少々、黒こしょうを振って味をととのえた。

「はい、危ないから退いて下さいね」

何故かため息をついたフョードルさんは、渋々といった風に私から離れてくれた。
いや、そこはボルシチが出来たことを喜ぶところでしょう。

出来上がったボルシチを器に盛り、パセリを散らして完成だ。

ランチョンマットの上にボルシチの入ったスープ皿を置き、白身魚のムニエルとパンを添えて、グラスに水を注ぐ。

「出来ましたよ」

「美味しそうですね」

「どうぞ召し上がれ」

テーブルについたフョードルさんが早速ボルシチをスプーンで掬って食べる。

「とても美味しいです」

「良かった、レシピ通りに作れたからですね」

「なまえさんの愛情がこもっているからでしょう」

「あはは、お気に召して良かったです。たくさん食べて下さいね」

「善処します」

フョードルさんは頑張った。
結構な量があったのに完食してくれたのだ。

「これで、いつロシアにお嫁に来て貰うことになっても困りませんね」

「フョードルさんにお墨付きを貰えて嬉しいです」

本場であるロシアの人にそこまで言って貰えるなら、今回の料理は大成功だったと言えるだろう。

「なまえさん、お腹がいっぱいで苦しくて一人でお風呂に入れません。一緒に入って洗って下さい」

「何ですか、今日は甘えん坊さんなんですか」

「また怪我をしていた時のように髪を洗ってくれませんか?」

「あの時は怪我をしてたからで……もうそこまでサービスはしませんよ」

「なるほど。また怪我をすればいいんですね」

ちょ、ちょっと!
包丁持って怖いこと言うのやめて下さい!
目が怖い!目が!

攻防はフョードルさんを無理矢理バスルームに押し込めるまで続いた。

やれやれである。


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