「やっぱり散っちゃってますね」 「これはこれで風情がありますよ」 お花見をするには時期が遅すぎた。 はらはらと桜の花弁が舞い散る中を歩いていく。 桜並木の柵の向こうの川面には散った花弁が一面に浮いていて、確かこれは花筏というのだと思い出した。 ところで、並んで歩くのは構わないのだが、何故手を繋がれているのだろうか。 「迷子になってはいけませんから」 「さすがに、これだけ人気がないとはぐれたりはしませんよ」 花の盛りを過ぎているせいか、他に歩いている人の姿はない。 桜吹雪というのも綺麗なものだと思うんだけどな。 「お弁当、どこで食べましょうか」 「もう少し歩きませんか?落ち着ける場所についてからにしましょう」 「そうですね」 今日のために張り切って作って来たお弁当。 フョードルさんの言う通り、確かに落ち着いて食べられる場所のほうがいいだろう。 一瞬強い風が吹いて、髪をかき乱していく。 直そうと手を上げる前にフョードルさんが繋いでいないほうの手でそっと直してくれた。 乱れた髪を整えてくれる手つきは、この上なく優しいもので、少し照れくさい。 「ありがとうございます」 「Я тебя люблю」 「えっ、それ確かこの前の…」 「Ты нужна мне.」 「ちょ、ちょっと待って」 「Я хочу быть с тобой всегда.」 「に、日本語で!」 「いいのですか?」 フョードルさんが意味深な笑みを浮かべる。 「意味を理解してしまったら、もう後戻りは出来ないかもしれませんよ」 「そんな危険な言葉なんですか!?」 ひえっとなってしまったが、フョードルさんは相変わらず薄笑いを浮かべたままだ。 「ある意味ではそうかもしれません」 「じゃあ、聞きたくないです」 「ぼくには貴女が必要です」 突然フョードルさんがそんなことを言い出したのでギョッとする。 「貴女とずっと一緒にいたい」 「な、なんですか、突然……」 「さっきの言葉ですよ。日本語にしてあげました」 「聞きたくないって言ったじゃないですかあ!」 その時、また強風が吹いた。 それはつむじ風のように私達の周りをぐるぐると吹きすさび、地面に落ちていた桜の花弁を巻き上げて花びらの渦を作り上げた。 さすがにおかしいと思い、フョードルさんを見ると、彼は繋いでいた手に力を入れて私を引き寄せた。 「フョードルさん?」 「これでやっと帰れます」 その言葉の意味を理解する前に、私は見つけてしまった。 川の真上の空間に、渦巻きのような歪んだ穴が出来ているのを。 それは徐々に広がっていき、大きく口を開けた。 向こう側にこことは違う景色が見えている。 「さあ、行きましょう」 「いやっ!嫌ですっ!」 ようやく私は気がついた。 彼は私を一緒に連れて行こうとしているのだ。 フョードルさんは私の手を引いて歩きながら、何もないように見える空間に足を踏み出した。 まるで見えない階段があるように、川の上に開いた穴に向かって歩いていく。 その穴に近づいた時、全身の毛穴という毛穴が開いて、ぶわっと冷や汗が吹き出した。 いや、脂汗かもしれない。 この先は危険だと、頭の中で警鐘がガンガン鳴り響いている。 「離してっ!」 フョードルさんが手袋をしていなかったことが幸いした。 繋がれていた手が滑る。 ようやく外れたと思ったら、不意に見えない足場が消え失せた。 落ちる! 川にまっ逆さまに落ちるかと思いきや、下には何もなかった。 完全な真っ暗闇。 そこだけ白く浮かび上がったようなフョードルさんの姿がどんどん遠ざかっていく。 私は声もあげられないまま、闇の中に落ちて行った。 |