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金曜日。
太宰さんを蟹料理のお店へ連れて行った。
無論、太宰さんの好物が蟹であると知った上での行動である。

「なまえちゃん……嬉しいけど、ここはちょっと高すぎるかなぁって」

「大丈夫です。私の奢りなのでお腹いっぱい食べて下さい」

「本当に!?」

やったぁ!と素直に喜ぶ太宰さんを見て、チクリと胸が痛んだが、気づかないふりをしてドリンクを注文した。

「いやぁ、やっぱり蟹は最高だね」

蟹を食べる太宰さんはとても幸せそうだ。
私もにこにこと笑顔で運ばれてきた蟹の身を解しては太宰さんのお皿に乗せてあげるという作業を繰り返した。

「なまえちゃん、食べてる?」

「食べてますよ。気にしないでいっぱい食べて下さい」

「ありがとう。なまえちゃんは女神のような人だなぁ」

とんでもない。

これから貴方を捨てようとしている酷い女ですよ。

これはいわゆる最後の晩餐。

明日、私は何もかも捨てて太宰さんの知らない土地へ引っ越す予定だった。

太宰さんのことはとても好きだけれど、もう疲れてしまったのだ。
彼の側には常に女の影がある。
私とお付き合いしていても、太宰さんは自分に寄って来る女の人を拒まなかった。
中途半端に彼に手を出されて放置された人に、嫉妬から嫌がらせをされたこともある。

太宰さんを好きだと思う気持ちよりも、もう女性関係でやきもきしたくないという気持ちのほうが勝ってしまったのだった。

「食べた、食べた。もう一年分は食べた気がするよ」

「もうお腹いっぱいですか?満足出来ました?」

「大満足!本当にありがとう、なまえちゃん」

「いいんですよ。じゃあ、帰りましょう」

「うん、家まで送って行くよ」

「ありがとうございます」

自宅までの帰り道、これが最後だと思うと何だか感慨深くて、太宰さんと色々な話をしながら歩いた。

探偵事務所の人達の話。

太宰さんと初めて会った時の話。

二人の初デートの時の話。

手を繋いで歩くのもこれが最後。

「じゃあ、また明日」

私を自宅まで送ってくれた太宰さんはそう言って帰って行った。

太宰さんを見送り、室内に入った私は、がらんどうになった部屋に段ボール箱が積まれたこの光景を見られずに済んで良かったと安堵していた。
もしも見られていたらどうなっていたかわからない。

それから数時間後。
深夜の内に引っ越しは完了した。

土曜日。
太宰さんのいない新しい生活の始まりだ。

とりあえず、直ぐに必要なものだけ段ボールから出して、私は窓を開けた。
爽やかな春の風が吹き込んで来て、とても清々しい気分になる。
今度の家からは桜が見えるのだ。

そろそろ満開を迎えるであろう桜にしばし見入っていると、玄関のチャイムが鳴った。

「はーい」

何も考えずにドアを開けると、そこには

「やあ、おはよう」

太宰さんが立っていた。

「どうして……」

足元から崩れ落ちそうになりながら尋ねると、太宰さんは少し照れたように微笑みながら何かを差し出した。

「昨日のお礼。こんなものしか思いつかなくて申し訳ないけれど」

「違っ、ど、どうしてここに?」

「だって昨日、『また明日』って言ったじゃないか。忘れちゃった?」

ずいと玄関から入って来た太宰さんは、靴を脱いで上がり込むと、部屋の中を見回した。

「へえ、ここからは桜が見えるんだね。いい部屋だ」

にこやかに言って、手近な段ボールをぽんと叩く。

「さ、片付けるの手伝うよ。男手も必要だと思って張り切って来たんだ」

私はその場に崩れ落ちるようにうずくまり、頭を抱えた。

「お願いしますお願いしますもう無理なんです別れて下さい!」

「嫌だなぁ、なまえちゃん。エイプリルフールにはまだ少し早いよ」

「本当に、もう無理なんです…!」

「そんな笑えない冗談を言って、お仕置きされたいの?」

いつの間にか太宰さんの手にはナイフが握られていた。

「まさか君も、引っ越したばかりの新しい部屋を血で汚したくはないだろう?」

「ひっ…!」

「なんてね。ごめん、嘘、嘘。なまえちゃんがあまりにも酷い冗談を言うから、私もついノってしまったよ」

太宰さんはしゃがみこむと、うずくまったまましくしく啜り泣き始めた私の頭を撫でて、優しく言った。

「愛してるよ、なまえちゃん。何があっても君だけは絶対に離さない。…絶対に」


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