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身体に巻いたバスタオルがしっかりその役目を果たしているのを確認してから、私は浴室へ続くドアを開いた。

その先に広がる空間はとても一個人のものとは思えないほど広く豪奢で、まるでセレブの豪邸のバスルームのようだった。
いや、まるでじゃない。
ここの主は間違いなく権力の中枢にいる人物なのだから。

「やァ、やっと来たね。待ちくたびれたよ」

あまりの場違いさに尻込みしてしまっていた私に、穏やかな声がかけられた。
声の主は当然森さんで、彼は大人が何人も入れそうなゆったりとした造りの浴槽に胸の辺りまで浸かっていた。
バブルバスでも使ったのか、ふわふわの泡が胸板を洗っている。

「おいで」

森さんが私に向かって優雅に手を差し伸べる。
それを拒むことなど出来るはずもなく、おずおずとその手に自分の手を重ねて、そろりと浴槽へ足を踏み入れた。

「これは邪魔だね」

あっという間に呆気なくバスタオルを剥ぎ取られてしまい、慌てて湯船に身を沈める。
浴槽からはみ出さんばかりの白く柔らかい泡のお陰で、何とか身体を隠すことは出来た。
が、しかし、それは何の問題の解決にもならなかった。

「あっ…!」

森さんに引き寄せられ、彼の足の間に収まるように身体を抱き込まれてしまったからである。
細身だがしっかりと引き締まった肉体にぴたりと密着させられ、頭に血がのぼりそうになった。

「身体が強張っているね。私が怖いかい?」

「い…いえ…」

「では、恥ずかしい?」

私がこくこく頷くと、森さんは朗らかに笑い声を響かせた。
かと思うと、一転して耳元で艶めかしく囁きかけてくる。

「力を抜いてごらん。私が洗ってあげよう」

どうしてこんなことに。

森さんの手が素肌の上を滑っていく感触から気を逸らそうと、私はこうなってしまった原因に思いを馳せた。

始まりは……そう、全ての始まりは、何ということのない、普通の午後だった。

その日は休日で、近所のスーパーに買い出しに出掛けていたのだが、帰りに公園を通って近道をすることにしたのだった。

いま思えばそれが間違いだった。

気がついた時には全く知らない場所へ出てしまっていて、スマホで位置情報を確認しようにも何故かエラーが出て調べられない。

そうこうしている内にどんどん辺りは暗くなって来るし、泣きそうになっていた私に声をかけてくれたのが森さんだった。
医師だという彼は、様子がおかしい私を心配して声をかけてくれたのだった。

この辺りは危ないから送ってあげようと言われて住所を告げたところまでは良かった。
ああ、やっと家に帰れると安堵したのも束の間、私の家があった場所には見知らぬ建物が建っていたのである。
呆然とする私を落ち着かせてくれたのは、またもや森さんだった。彼は電話で誰かと短い会話を交わした後、私をホテルまで車で連れて行ってくれたのだ。
顔見知りのホテルだから代金はいらない、安心して泊まっていきなさいと言われた時にはさすがに慌てたけれども。

車の中で紹介されたエリスちゃんとはすぐに意気投合した。
自分も私と一緒に泊まりたいと駄々をこねるエリスちゃんを宥めすかして森さんは帰って行った。

翌日から彼は毎日のように様子を見に来てくれた。
エリスちゃんも一緒だ。
守備範囲は十二歳以下と公言して憚らない人なので、変に意識したりせず安心して話すことが出来た。

ところが、数日後。
いつものように訪れた彼によって私は思いもかけないことを知らされた。

この世界には、苗字なまえという人間は存在しない。
戸籍もなく、今まで生存していた痕跡もない。
どうやらここは私にとっては異世界であるらしい。

それは絶望的な宣言だった。

森さんの仮説では、何らかの異能力者の能力によって次元を越えて来たのではないかということだった。
その異能力というもの自体が初耳で、ここが私の知らないもうひとつのヨコハマであることを裏付けていた。

「異能力者が関係しているとなれば放ってはおけない。私のヨコハマで勝手な真似をされては困るのだよ」

そう言った森さんの声は冷徹で、ゾッとしたのを覚えている。

「実は、私はポートマフィアの首領をやっていてね。ああ、これはもちろんトップシークレットだから、知られた以上君の身柄はこちらで保護させて貰うよ」

顎の下で手を組み、にこにこと。
笑顔でそんなことを言われた私の顔からは完全に血の気が失せていた。

「お医者さまじゃなかったんですか!?」

「町医者は仮の姿だよ。以前は先代の主治医だったけれどね」

騙された!
そう思ってしまったのも仕方がない事態だった。

マフィアの首領だと知っていたらお近づきになんてなりませんでした!
とは口が裂けても言えない。
私だって命は惜しい。

「初めてなんだよねぇ。君みたいな妙齢の女性に惹かれたのは」

シックで重厚な雰囲気の調度品に囲まれた部屋でそう私に告げた森さんは、自分でも困惑しているような口ぶりだった。

「初めて会った時、涙目で不安そうに見上げてきた君と目が合った瞬間に、嗚呼、これはもう攫うしかないなって」

「ふ、ふえぇ…!」

「あ、いいねぇ、その反応。初めて会った時もかなりクルものがあったけど、今の怯えた表情も堪らないなあ。ベッドの上でも楽しませてくれそうだ」

「ベッド…!?」

こうして私は身柄を保護してくれた森さんの愛人となったのだった。

以来、ずっと森さんの部屋で囲われている。

「考え事とは余裕だね」

「えっ、あんっ…!」

後ろから両手で胸を包み込まれ、先端を指で挟まれてキュッと絞られる。

「それとも、こっちのほうが良かったかな」

「あ、だ、だめですっだめっ!」

無毛の恥丘をさわさわと撫でられ、その奥にある秘裂を指でなぞられた私は、慌てて森さんの手を掴んで止めた。

「エリスちゃんが待ってるから…」

「残念。エリスちゃんはもう寝てしまったよ」

「そ、そんな…」

寝る前に絵本を読んであげる約束をしていたのに。

「これからは大人の時間だ」

艶やかな声音で宣言した森さんのキスを拒む言い訳が、私にはどうしても思いつかなかった。


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