「中也のニオイがする」 ある日、部屋に帰って来るなり治くんが言った。 「中に挿れたんだね。中也を、中に」 「何か言い方がいやらしいよ、治くん」 「私というものがありながら浮気するなんて……信じられない。酷い裏切り行為だ」 「ええ…浮気なんて、そんな。ちょっと世間話をしただけだよ」 「部屋に入れた」 「それは手土産持って訪ねて来てくれたんだから、お茶くらい出さないと」 「部屋に入れた」 「だって、私は外に出られないから」 治くんは黙った。 事実、私はこの部屋の外には出られない。 その上、限られた人物以外との接触も禁じられていた。 原因は大学二年の春までさかのぼる。 その日私は課題のための調べ物をしていて、閉館時間ギリギリまで図書館に残っていたのだが、その帰り道、暴漢に襲われそうになったところを治くんに助けられたのだった。 「実は私は、ポートマフィアの最年少幹部でね」 お礼を述べた私に、彼は意味ありげな笑みを浮かべて言った。 「私に関わりがあると知れれば、さっきの暴漢よりももっと恐ろしい連中に狙われることだろう」 「ええっ」 「その点、私なら君を守ってあげられる。確実に身の安全を保証してあげよう。私と一緒に来れば、だけれど」 その時の治くんは美貌も相まって、悪魔的な魅力に満ちていた。 もう殆ど魅いられてしまっていたのかもしれない。 「私と共に来るか、いつやって来るともしれない襲撃に怯えて暮らすか。……君は、どちらを選ぶ?」 私は彼に飼われることを選んだ。 これが意外と快適で、身の回りで必要なものは治くんが先回りして用意してくれるし、欲しいものは殆ど何でも買ってくれた。 と言っても、ブランドの靴やバッグなどをねだったわけではない。 その大半は書籍で、多岐にわたるジャンルの古今東西の本を、私が欲しがりさえすれば、治くんは魔法のように手に入れてきてくれるのだった。 そういう意味では、この部屋にある本棚は大学の図書館よりも充実しているかもしれない。 それから、音楽。 好きな曲を聴いて本に集中していれば、この部屋に窓が無いことも外に出られないこともそれほど気にならなかった。 根っからのインドア派で本の虫だったからこそ、ここでの軟禁生活に馴染むことが出来たのである。 「それに、中原くんだけじゃないよ。芥川くんも時々会いに来てくれるの」 「たったいま芥川くんの死が決定した。君のせいでね」 「治くんは本当に芥川くんに厳しいね。もっと可愛がってあげないとだめだよ」 「指導方針は私が決める。今後一切彼に関わるのはやめ給え」 「えー」 「えーじゃない。君にはお仕置きが必要だな」 私をひょいと抱き上げて、治くんはベッドに向かった。 この日の治くんはいつにも増してねちっこく、まるでマーキングし直してやるとでも言うように執拗だった。 言うまでもなく、中原くんにへの対抗心からだろう。 「まあ、全て知っていたんだけれどね」 散々鳴かされ、泣かされた後で。 中原くんや芥川くんが私に興味を持って接触してくるだろうことは最初からわかっていたのだと治くんは言った。 その上で、浮気だなんだと言いがかりをつけて“お仕置き”に持ち込む。 云わば、プレイの一貫だったのだと。 「たまには刺激があっていいだろう?」 私の胸に顔をうずめて安心しきった様子で甘えながら彼は言った。 こういう時の治くんは堪らなく可愛い。 愛おしくて、好きなだけ甘えさせてあげたくなる。 しかし、何もかも彼の手の平の上だというのは何だか面白くない。 彼にはちょっとした“お仕置き”が必要だと判断した私は、翌日、エリスちゃん宛にメッセージを送った。 以前、お菓子作りを教えてほしいと頼まれていたのだ。 だから、一緒にケーキを焼いてお茶会をしましょう。もちろん、森さんもご一緒に。 といった感じの内容を送ったところ、30分もしない内にエリスちゃんではなく森さんから返事が来た。 さすがデキる男は仕事が速い。 そうですよね。エリスちゃんの手作りケーキ食べたいですよね。 森さんからは正式な書面で、エリスちゃん主催のお茶会への招待状が渡された。 治くんも是非参加するように、とある。 苦いものでも飲んだような顔で招待状に目を通した治くんに、私は笑顔でこう告げた。 「森さんって素敵だよね。憧れちゃうなあ」 その時の治くんの顔と言ったら、もう。 記念に写真に撮っておきたいくらいだったとだけ言っておこう。 |