「なまえさん、すみません」 「大丈夫。ぱぱっと直しちゃうから待っててね」 私の異能は『修復』 どれだけ探偵社の壁や内装が壊されようが、何度敦くんが虎化して服を破こうが、全て元通りに直せてしまう。 燃えて消し炭になったものはさすがに直せないけれど。 私の本業は喫茶処の女給なのだが、武装探偵社の皆さんは顔馴染みの常連様ばかりということで、こうして時々修復の依頼を受けているのだった。 「はい、出来ました」 「わ、凄い!本当に傷一つなく元通りになってる!ありがとうございます、なまえさん!」 飛び上がらんばかりに喜んでいる敦くんを見るだけで、私は満足だった。 私の力が役に立つのは嬉しい。 「おや、敦君も直して貰ったのかい?」 聞こえてきた声に、反射的にビクッと身体が跳ねた。 いつの間にやって来たのか、太宰さんが私の肩越しに手元を覗き込んでいる。 私はこの人のことが苦手だった。 触れられているとどうにも落ち着かない。 「なまえちゃん、もう遅いから送って行こう」 「い、いえ、大丈夫です。防犯ブザーも持ってますし、真っ直ぐ家に帰りますから」 「まあ、そう遠慮せずに。家まで送るよ」 「あの、えっと、ごめんなさい!」 太宰さんには申し訳ないけれど、私は逃げるように探偵社の事務所を飛び出した。 苦い罪悪感を胸に歩道を駆けていく私を、窓から太宰さんが見つめていたことも知らずに。 「はぁ……」 「何かお悩みですか?」 声をかけられてはっと我に返る。 いけない。いまは仕事中だった。 慌てて笑顔を作ると、テーブルの上にティーカップを置いたお客様が私を見上げているのが見えた。 異国の方なのか、アメジストのような紫の眼が印象的な男性だった。 整ったお顔にうっすらと笑みを浮かべて私を見ている。 何だか落ち着かなくなるような視線だった。 「いえ、悩みだなんて…」 「太宰くんに困らされているのでしょう?」 「何故、太宰さんのことを」 「彼とは知り合いでしてね。似た者同士とでも言いましょうか」 確かに、太宰さんに感じる苦手意識のようなものをこの人にも感じていた。 こちらの全てを見透かしているような、居心地の悪さがある。 「賭けをしませんか」 「か…賭け?」 「貴女は必ず自分からぼくのもとへとやって来る。そうしたらぼくの勝ちです」 「勝ったらどうなるのですか」 「もちろん、貴女にはぼくのものになって頂きます」 そんなことにはなりません。絶対に。 そう言いたいのに、何故か言い返せない。 ただ預言のような言葉に身体を震わせることしか出来なかった。 その翌日、自宅兼職場だった喫茶処が全焼した。 跡形もなく焼け落ちて炭になってしまった建物を前に呆然と立ち尽くしていると、何故か家族は私を犯人だと決めつけて糾弾してきた。 証拠があると言われても、全く身に覚えがない。 そうする内に軍警に通報されてしまい、文字通り身体ひとつでその場から逃げ出すしかなかった。 どうしよう…どうすれば… ぐるぐると目まぐるしく考えながらたどり着いたのは、武装探偵社の事務所が入っているビルの前だった。 そうだ、彼らならきっと私の無実を証明してくれる。 いちるの望みを抱いて事務所のドアをノックしようとして私は凍りついた。 『慰安旅行のため三日間留守にします 武装探偵社』 「あ……」 その場に崩れ落ちそうになった身体を、誰かの腕に抱き止められる。 「貴方は…あの時の…」 見上げると、あの異国の男性が微笑んでいた。 細い見かけとは裏腹の力強さでぐいと抱き起こされ、乱れた髪を整えてくれる。 「軍警に追われているのでしょう」 「そ、それはっ」 「もちろん貴女は犯人ではないと知っています。ですが、ここにいては危ない。ひとまず身を隠しましょう」 「で、でも、どこへ?」 「大丈夫です、ぼくに任せて下さい」 さあ、なまえさん エスコートでもするように恭しく手を取られて、彼に手を引かれるまま武装探偵社の建物を後にした。 それからは、あっという間だった。 フョードル・ドストエフスキーさんと名乗った彼のアジトの一つだという洋館に身を落ち着けたのも束の間、私は放火犯として指名手配されてしまい、もう外に出ることは適わない。 何とか武装探偵社の人と連絡を取りたかったけれど、あの約束が私をフョードルさんのもとに縛り付けていた。 「また外を見ていたのですか」 「フョードルさん…」 「諦めなさい。貴女はもうここから出られない。約束したでしょう?ぼくのものになると」 フョードルさんに引き寄せられ、腕の中に閉じ込められる。 容赦のない言葉とは裏腹に、降ってくる口付けは優しくて、この人のことが余計にわからなくなる。 優しすぎるほど優しいけれども、とてもとても怖い人。 でも、いまの私には彼しか頼れる人はいない。 だから私はこうして彼の腕に囚われたまま逃げ出すことも出来ずにいる。 私が賭けをしたのは悪魔だったのだろうか。 いまとなっては確かめる勇気すらなかった。 |