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──どこからか音楽が聴こえてくる。

これは……そう、確か、サン=サーンスの『白鳥』だ。
弾いているのはチェロだろうか。
水面に浮かぶ白鳥を思わせる優雅な調べはとても心地よく、爽やかな朝に相応しい。

目を閉じたまま、ふわふわと眠りと半覚醒の狭間を漂っていると、ふとチェロの音が聴こえなくなっていることに気付いた。
プレイヤーが止まったのだろうかとぼんやり考えていたら、不意に唇に柔らかいものが触れた。

「朝ですよ。起きて下さい」

耳元で笑い混じりの甘い美声に囁かれて、ぱちりと目が覚める。

「おはようございます、なまえさん」

ひえっと飛び起きた私の前にいたのは、フョードル・ドストエフスキー。
陽気なエンターテイナーである彼の友人からは『ドス君』の愛称で呼ばれている人物だった。

にこやかに微笑む彼の後ろには椅子があり、チェロが立て掛けられていた。
では、先ほどのあれは彼の生演奏だったのか。
というか、ここ、どこ!?
目覚めたら見知らぬ部屋にいて殺人鬼に朝の挨拶をされるなんて、普通にホラーだ。

「しかも、さっき、私にキスしましたよね!?」

「可愛らしい寝顔でしたので、つい」

「どうしてここに……」

「貴女に逢いたくて我慢出来なかったので、拉致しました」

「誘拐!!!」

ちょっと、ベッドに腰掛けて少しずつ距離詰めて来るのやめて下さい。

「鍵かけて寝たはずなのに……」

「ぼくの部下が秒で開けました」

「盗賊団の頭目!!!」

何をしてくれてるんですかと言いたい。
しかし、この男に常識を説くだけ無駄というものだ。
優秀過ぎる頭脳と卓越した弁舌にあっさり言い負かされてしまうのはわかりきっている。
私は頭を抱えた。

ちゅんちゅんと雀の愛らしい鳴き声が聞こえてくる。
のどかなそれが聞こえて来る窓には、見るからに頑丈そうな鉄格子が嵌めこまれていた。

軽やかなノックの音に彼が応えるとドアが開き、見たことのある彼の部下がトレイを捧げ持って入って来た。

「朝食をお持ちしました」

見れば、ホテルのブレックファストのような料理の皿の数々がテーブルに乗せられてゆく。
不覚にもお腹が鳴ってしまった。

くすりと笑った彼が、部下がティーポットから注ぎ淹れた紅茶のカップを受け取り、私に向かって無邪気な仕草で首を傾げて見せる。

「爽やかな気持ちの良い朝ですね」

「お陰さまで!」

彼との攻防戦の始まりの合図を告げるゴングの代わりに、外に出た彼の部下がドアに鍵をかける無慈悲な音が小さく、だがはっきりと聞こえてきた。


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