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「あれ」

「おや」

互いにあげた声こそ柔らかいものだったが、なまえは一瞬の内に周囲の気温が氷点下にまで下がった錯覚を覚えて震えた。

目の前に不二周助が立っている。

スクールの帰り道で偶然行きあう相手としては最悪の組み合わせだ。
その証拠に、観月も不二も笑顔であるにも関わらず、どちらも一触即発の空気を漂わせていた。

観月がごく自然な仕草でなまえを自分の身体の陰にくる位置に移す。
それが自分を気遣っての行動だと理解し、なまえは嬉しかった。
なまえは元は青春学園の生徒だったのだが、観月の熱心な勧誘に応える形で二年から聖ルドルフ学院に編入したのだ。
不二の弟の裕太がかつてそうしたように。
その観月と一緒にいるところに不二とこうして対面するのは、やはり少し気まずいものがある。

「やあ、奇遇だね。こんなところで会うなんて」

「まったくです。世の中案外狭いものですね」

よりによってお前と会うなんて、というニュアンスをこめた言葉を口々に交わす間も、二人は笑みを崩さなかった。
怖い。

「元気そうで何よりだよ」

「そういうキミはあまり楽しそうに見えませんね」

「そう?」

不二が静かな笑い声を漏らした。

「それは仕方ないんじゃないかな。キミには裕太だけじゃなくなまえちゃんまで取られてしまったからね」

「ボクが無理矢理拐ったわけじゃありませんよ。二人は自らの意思でルドルフに来てくれたんです。まあ、確かに誘ったのはボクですし、恨まれるのは慣れていますが」

「うん、憎いよ」

(ふ、不二先輩〜〜!?)

あっさりととんでもない事を言い放った不二になまえは震えあがった。

「でも、二人がキミの世話になっているのは確かだからね。一応、お礼を言っておくよ」

「おや。珍しいこともあるものですね。キミから感謝される日が来るとは思ってもみませんでした」

「これからもボクの後輩をよろしく頼むよ、観月」

「ええ」

「それじゃ、また」

てっきりそのまま立ち去るかと思ったのに、不二は突然くるりとこちらを振り返った。
思わずビクッとなってしまう。

「なまえちゃん」

「は、はいっ!」

「何かあったらいつでも言っておいで」

「はい、有難うございます」

「じゃあまたね」

今度こそ不二は立ち去った。

「あ〜…ドキドキしたぁ…」

「ドキドキ?」

「なんだか緊張しちゃって…不二先輩にはいつもからかわれてたし、テニスのことでは結構厳しいことを言われたりもしたので」

緊張の糸が切れたことで、なまえは今まで観月にも話せずにいたことを語った。

「優しいのか厳しいのかわからないっていうか……うまく距離感が掴めないから混乱しちゃって、そのせいか、不二先輩のことはちょっと苦手でした」

「そうでしたか」

「はい。だから私にはやっぱり観月さんが一番合ってるみたいです」

先輩であり、先生であり、そして異性としても慕う相手を、なまえは心からの信頼と愛情のこもった眼差しで見て微笑んだ。

「優しいし、でも、きちんと叱るところは叱ってくれて……誰よりも信頼できる人って感じです!」

「そ、そうですか」

少々褒め過ぎな気もしないでもないが、愛しく想う少女にそこまで言われて嬉しくないはずがない。
ただ、なまえは気づいていないようだが、観月と不二の彼女への対応には、実のところそれほど差異はない。
いわゆる飴と鞭というやつだ。
それに、不二がなまえをからかいたくなる気持ちもよく分かる。
彼女の反応は新鮮で実に興味深い。

(好きな子はからかいたくなるタイプみたいですからね、彼は)

不二はまだ信頼関係が構築されない内からついやり過ぎてしまったのだろう。
それが皮肉にも苦手意識を持たれる結果に繋がってしまったというわけだ。

「僕も大概酷い人間ですね」

「??観月さん?」

「何でもありません。さあ、帰りましょう。門限に間に合わなくなりますよ」

ライバルに先んじた優越感を胸に、観月はなまえの小さな手を引いて帰路を急いだ。


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