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聞いているだけで爽快な気分になる音を響かせてコートの上で勢いよく跳ねたテニスボールが背後へと飛んでいく。

「あっ…!」

取り逃してしまったそれを目で追ったなまえは、肩で息をしながら、ラケットを握り直した。
ぽたぽたと汗が滴り落ちて、その部分だけコートの色を変えていく。

「そろそろ休憩しましょう」

こちらはまだ涼しげな様子のままの観月が、ネットの向こうからそう声をかけてきた。
それもそのはず。
彼はこの午前中の間ずっとなまえを前後左右に振り回すような送球を繰り返していて、必然的に走り回ることになったなまえとは違い、観月自身は殆ど位置を変えていなかったのだ。
今日はそういう特訓メニューなのだった。

「大丈夫です、まだやれます…!」

ボールを拾ってきたなまえが真摯な眼差しで訴えるも、観月は「いけません」と即座に却下した。

「ただがむしゃらに練習すれば巧くなるというものじゃない。しっかり身体を休めることも大切です」

「はい…」

なまえは素直に従い、力んでいた身体から力を抜いた。
観月に向かってぺこっと頭を下げる。

「有難うございました、観月さん」

「こちらこそ。お陰でいいデータがとれました」

ちょっと笑顔が黒いけど気にしない。
そこもまた観月の魅力の一つだからだ。

分かってはいたけれど、スタミナの消費具合が明らかに違う相手を見て、なまえが残念そうに眉根を寄せる。

「ダメですね、私。ほんとまだまだです。考えるよりも先に身体が動いちゃうっていうか。それが無駄な体力を使う原因だって頭では分かってるんですけど」

「キミはそれでいいんですよ」

軌道の予測とか、そういったものを考えながら動ければもっと効率が上がるのに、と落ち込むなまえを、観月は優しい声で励ました。

「そのためにボクがいるんです。キミが思いきり自分のテニスが出来るように計算して練習させるのがボクの役目ですから。キミはおかしな事は考えずに自分のテニスをすればいい」

「観月さん……はい!有難うございます、頑張ります!」

「んふっ。期待していますよ」

自由の森テニススクールで知り合った、聖ルドルフ学院の三年生、観月はじめ。
テニス部のマネージャーを務めると同時に自らもオールラウンダーのテニスプレイヤーでもある彼は、今やなまえにとって良き先輩であり、同じ高みを目指す同志でもあった。

他校の生徒であるにも関わらず、なまえはすっかり観月に懐いている。
観月さん、観月さんと、子犬のように彼に駆け寄っていく様子や、練習の後に観月に褒められてパタパタ振られる尻尾の幻が見えるほど嬉しそうに喜んでいる姿は、まるで飼い主と犬のようだ。

もっとも、他のルドルフ生達からみれば、かつてないほど過保護に面倒を見てやっている観月の姿は、飼い主というよりも『お母さん』といった感じだったが。

なまえの練習に付き合ってやっているのはあくまでも青学のルーキーのデータをとるためであり、打算に基づいた策略なのだと主張していた観月だが、最近ではどうにもそれだけとは言い切れなくなってきている。

「あっ、いけない、ポカリ置いて来ちゃった」

スポーツバッグの中を探っていたなまえが言った。

「キミのことだからそんな事もあろうかと、ボクが用意してきていますよ」

「わ、有難うございます!」

「こっちが冷えたスポーツドリンク、こっちが常温のままのものです」

「二種類あるんですか?」

「冷えているほうは、あくまでも渇いた喉を冷やして清涼感を得るために最初に少し飲むだけにして、後はこっちの常温のほうを飲みなさい。急激に冷たいものを大量に飲んでは身体に良くありませんから。キミ、この前お腹壊していたでしょう」

なまえは無垢な瞳をきらきら輝かせて観月を見ていた。

「観月さんって、お母さんみたいですね!」

「どうしてそうなるんですか…」

観月はガックリと肩を落として項垂れた。


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