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※部下夢主


いつもは風紀財団の地下アジトにいることが多い恭弥さんが、珍しく地上の屋敷にいる。
お月見をするためだ。

「今夜の月は明るいね」

「スーパームーンですから。6月より3割も明るいんですよ」

「ふぅん」

興味があるのかないのか。恭弥さんの表情からは読み取れない。
草壁さんならわかるんだろうな。
私も付き合いは長いけれど、雲雀さん呼びから恭弥さん呼びになったのもつい最近のことだし、まだまだ彼との間に距離を感じる。

少女の頃からずっとこの人の背中を追いかけてきた。

そこに姿ははっきり見えるけれど、決して手が届かない月のような人だと思う。

手を伸ばすのはもうとっくに諦めてしまった。
今はただ眺めていられるだけで満足だ。

「お酒注ぎますね」

「うん」

恭弥さんの御猪口に徳利から日本酒を注ぐ。
最近お気に入りの銘柄の大吟醸だ。
風紀委員長として学ランを羽織って学校を闊歩していた恭弥さんが、もうお酒をたしなむ年齢になったことが、私と恭弥さんの付き合いの長さを表している。
恭弥さんはびっくりするくらい男前に成長したけれど、私はあまり自身の成長を感じられない。
未だに、たなびく学ランの背中を追いかけて走る夢を見ることがある。
走っても走っても追いつけない虚しい夢を。
私も早く立派な大人になりたい。

「美味しいね、これ」

恭弥さんの言葉で物思いから覚める。
恭弥さんは、おつまみにと用意したホタテの酒蒸しを食べていた。
今は山菜の天ぷらを摘まんでいる。

「ありがとうございます」

「料理は誰に習ったの」

「基本は母に…財団に入ってからはネットのレシピを見ながら自己流にアレンジしたりしています」

「哲も褒めていたよ。まかないが美味いから職員が張り切って残業するって」

「草壁さんが…嬉しいです」

「僕も褒めたよ」

「はい、凄く嬉しいです」

「そう」

恭弥さんは満足そうに御猪口からお酒を飲んだ。

「月が綺麗ですね」

「そうだね」

恭弥さんが、持っていた御猪口をすいと差し出したので徳利から注ごうとしたら止められた。

「君も飲みなよ」

「えっ、いえ、私は」

「いいから」

恭弥さんから御猪口を渡される。
仕方なく、恐る恐る口をつけた。
殆ど苦味はなく、フルーティな味わいがある。
さすが大吟醸。

「ありがとうございました」

「もういいのかい?」

「はい、充分です」

「顔が赤い」

「お酒弱いんです」

赤くなっているらしい頬を手で押さえた。
ちょっと熱い気がする。

「“死んでもいいわ”」

「え?」

「さっきの返事」

正確には二葉亭四迷が訳したのは“I Love You”じゃないらしいけどね。と続ける恭弥さんの声が遠い。

「先に告白したのは君だろう」

「いえっ、さっきのあれは」

「僕は君が好きだ」

ちょっと待ってほしい。
思考が追いつかない。
やはり酔っているのだろうか。

「恭弥さん…?」

「顔が赤い」

「お酒弱いんです」

「本当にそれだけかい?」

恭弥さんは意地悪だ。
赤い頬を押さえながら、澄ました顔でお酒を飲む恭弥さんを睨む。

私はまだ状況を把握しきれていないのに、
「酔った君を組み敷くのも悪くないね」だなんて、ひどすぎる。

明るい月の光に全てを暴かれてしまうのも時間の問題だった。


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