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それは市場に出掛けたときの事だった。

「凄い混雑だね。いつもこんなにたくさん人が来てるの?」

「観光地が近いからな、いつもこんなもんだ。大半は地元の人間だがな」

「へえ…」

母は強しと言うが、この国の女達は特に逞しい。
山ほどの食料を抱えた恰幅の良い中年女性達が、大声で店主とやり取りしたり、威風堂々と闊歩している中、所狭しと並ぶ新鮮な魚や果物を真奈は楽しそうな表情で眺めている。

見るからに隙だらけでトロくさいその姿は、よからぬ事を生業とする連中の目にさぞかし絶好のカモに映ることだろう。
大抵の観光地がそうであるように、太陽の陽射しと青い海に恵まれたこの街にも裏の顔があるのだ。

「いいか、一人で来ようと思うなよ。ぼったくられた挙げ句、スリか引ったくりに遭うのがオチだ」

「うん」

ザンザスの辛辣な忠告はもっとだと納得したのか、真奈は神妙な顔で頷いた。

車を降りて少し街を歩いてみたい。
そうねだった真奈の希望を叶えてやるのは実に容易いことだった。
いつも車で通り過ぎるだけの街。
確かにこんな天気の良い日には外に出てみたくもなるだろう。

普段からあまり我が侭を言わない女なだけに、こうした事を言い出すのは珍しい。
多少面倒でも叶えてやる価値はあるというものだ。

「ザンザス、あれは?」

「サボテンの実だ。食いたきゃ買ってやる」

「えっ、食べる物なの?」

トゲがあるのにと、店先いっぱいに積まれたサボテンの実を見て真奈が瞳を瞬かせる。

「美味しい?」

「さあな。好みによるんじゃねえか。興味があるなら一度食ってみりゃいいだろ」

ここぞとばかりに店主が寄ってきてセールストークを始めたが、ザンザスはそれを遮って簡単に食べ方を説明してやった。

真奈はまだイタリア語を勉強中だ。
日常会話には不自由しない程度には上達してきてはいるが、早口でまくしたてられてしまうと、ちゃんと聞き取れないことも多い。
しかし、そんな時には鋭く察したザンザスが短く説明を付け足して通訳してやるので困ることはなかった。

「皆も食べるかな」

「カスどもの分まで買ってやるつもりかよ」

「だって、美味しいものは皆で食べたほうが美味しいでしょう」

いかにも平和ボケしたこの女らしい考え方である。

ザンザスは呆れて眉間の皺を深くしたが、別に咎める必要性も感じなかったので好きにさせる事にした。
財布を取り出そうとする真奈の機先を制して店主のゴツい手に無造作に金を押し付ける。

そして、店主が紙袋に品物を詰め込み始めたとき、その叫び声が起こった。

「やめろ! 離せクソジジイッ!」

まだ小さな子供の声。
汚い言葉で滅茶苦茶に誰かを罵っているその声に、大人の男の怒鳴り声が被さる。

「こんの、馬鹿ガキが!」

見ると、数件先の店の前で、まだ五歳にもなっていないのではないかと思われる幼い男児が店主らしき男に拘束されているところだった。
どうせ商品を盗もうとして捕まったのだろう。

この辺りはボンゴレのお膝元だけあって比較的治安が良い場所だが、そういった犯罪がまったくないわけではない。



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