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私には記憶がない。

事故で頭を打ったらしいのだが、その時のことを含めて、生まれてから今までの記憶が綺麗さっぱり消えていた。

私は審神者という特殊な職業に就いており、刀剣男士と呼ばれる付喪神達を率いて歴史修正者の遡行軍と戦っている最中なのだそうだ。
最初こそ非現実的な状況に戸惑ったりもしたが、審神者の仕事についてはこんのすけや長谷部に教えて貰って大分慣れて来た。
いや、勘を取り戻してきたと言うべきか。

今は、長谷部と光忠と薬研に交代制で近侍を務めて貰いながら何とか毎日頑張っている。

最近になって執務の傍ら、朝顔を育てはじめた。
今剣が「だれがいちばんじょうずにそだてられるか、きょうそうですよ」と言い出したので、短刀達と一緒に育てることになったのだ。

「主、これをどうぞ」

「ありがとう、長谷部」

長谷部が水を汲んで来てくれたジョウロで、朝顔に水をやる。
私の朝顔には紫色の小さな蕾がついていた。

「朝顔を育てるなんて小学生の時以来だよ」

「主……記憶が?」

「あっ!?」

こんな風に、何かの弾みで記憶のかけらが戻ってくることがある。

「朝顔を育てはじめたのも無駄ではなかったということですね」

長谷部がそっと紫色の蕾に触れる。
その触れ方があまりにも優しく、愛おしげなものだったので、なんだか羨ましくなってしまった。

「長谷部、私にも触ってみて」

「それは……」

「ね、お願い。何か思い出せるかもしれない」

「わかりました。俺でお役に立てるのなら」

躊躇う長谷部を強引に誘導すれば、主命を第一とする彼は逆らえないとわかっていた。

私はずるい。

こんなことをしても彼の心が手に入るわけではないのに。

「失礼致します」

手袋を外した長谷部の大きな手の平が私の頬を包み込む。
それはもう優しく、宝物に触れるような手つきで。

「ごめんね、長谷部」

「いえ。主命とあらば何なりと」

「私、さっき、朝顔に焼きもちをやいちゃった」

「朝顔に、ですか」

「笑っちゃうでしょ。自分でも嫌になる」

まだ頬に触れたままの長谷部の手に自らの手を重ねて、目を閉じる。

「私には何もない。今の私は空っぽで、誰かに何かをしてもらう資格もない。誰かに必要とされる資格もない。それでも、望んでしまうのをやめられない」

自分でも馬鹿なことを言っているとわかっている。
でも、止まらなかった。

「そんな悲しいことをおっしゃらないで下さい。貴女には俺がいます」

「長谷部…」

「心からお慕い申し上げております。貴女を」

長谷部の声が、言葉が、心に染み渡っていく。

いつの間にか溢れ出していた涙を長谷部の指が拭ってくれる。
朝顔に触れていた時のように、優しく、愛おしげに。

「俺は貴女のものです、なまえ様」


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