1/1 


ほんの少し前までは普通に歩道を歩いていたのだ。
明日は休み明けで、仕事が嫌だなぁ、などと考えながら。

多少アルコールは入っていたけれど、千鳥足になるほど飲んではいなかった。
二日酔いで仕事なんて冗談にならない。
だから、意識もはっきりしていた。

しかし、何かにつまずいたと思った次の瞬間には、足元にあったはずの地面が綺麗さっぱり消え失せていた。

「………えっ?」


遥か下方にビル群が広がっている。
ビルの窓の灯かりやネオンが“下”にある。
思わず我が目を疑った。

私は今、夜の街に向かって真っ逆さまに落下しているのだ。

強風に煽られて服がバタバタと鳴っている。
靴の片方は何処かに行ってしまっていた。

「きゃ、あ あ あ あ あ あ あ あ!!」

どんっ!と身体に強い衝撃が走り、一緒息が詰まる。
目を開けると、飲み込まれそうなほど巨大な満月をバックに、整った顔立ちの白い男の顔があった。

彼に抱き止められたのだと知ると同時に、再び我が目を疑うことになった。
自分の目が見ているものが信じられない。

男は。
私を抱き上げたままの彼は、ビルの壁面に立っていた。
何を言っているかわからないと思うが、私にもさっぱりわからない。
つまり、彼はビルの壁面を足場としては、地面と水平に立っていることになる。

「動くと落ちますよ」

形の良い唇から艶めいた声がそう紡いだ。

切れ長の瞳がやんわりと細められたのは、彼が微笑んだからだ。

私は脳みそを振り絞って考えた。
この状況はいわゆる、「親方!空から女の子が!」というアレだ。
ただし、私は女の子と呼ばれる年齢ではなく、受け止めてくれたのも少年ではなく成人男性だったが。

「私は赤屍蔵人と申します。貴女のお名前は?」

「わ…私は……」

どっきん、どっきんと未だに激しく打ち続けている鼓動は、危うく墜落死しかけた恐怖のせいなのか、あるいは目の前の男にときめいているせいなのか。

地球の引力を離れて宙に佇む男の腕の中で、私は生まれてはじめて“運命の出逢い”というものに思いを馳せた。

もしも運命に引力があるのならば、私はこの男に引き寄せられて彼のもとにやってきたのだと、何の疑問もなくそう思えた。



  戻る  
1/1
- ナノ -