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気象庁が九州地方の梅雨入りを発表した。
気象予報士が今日より昨日のほうが暑かったようですと報じていたが、とんでもない。
梅雨を飛び越して真夏になったのかと思うほど暑かった。

「疲れた…」

ようやく見えた自宅を前に力なく呟く。
我ながら疲れきった弱々しい声だ。
仕事の忙しさのみならず暑さが確実に影響していると思う。

家に近づくにつれ、あれ?と首を傾げた。
この匂いはカレーだ。
カレーの匂いがする。

不思議に思いながらドアを開けると、

「お帰りなさい、聖羅さん」

エプロン姿の男が聖羅を出迎えた。
白いシャツの袖は肘の辺りまで捲り上げられており、筋肉質な腕が露になっている。

「ちょうど出来たところですよ」

「あ、あの…?」

「晩御飯、まだですよね。カレーを作っておきました。それとも先にお風呂にしますか?」

「い、いえ、そうじゃなくてですね…」

「それとも私にしますか?」

クスッと笑うこの男は、運び屋の赤屍蔵人。
何が気に入ったのかわからないが、近頃ストー…つきまとわれている相手である。
聖羅はこの美貌の運び屋がどうにも苦手だった。
いつもペースを乱されてしまうからだ。

「やはりお風呂にしましょうか。暑かったから汗をかいたでしょう」

「はあ…」

「では、いま着替えを」

「じ、自分でやりますっ!」

慌てて着替えを取りに行く後ろから低く笑う声が聞こえてきた。
やっぱりこの男は苦手だ。

*  *

お風呂で汗と汚れを流してさっぱりして上がってくると、テーブルにはもう食事がセットされていた。
カレーにサラダに、一口サイズにカットされたマンゴーのデザートまである。

「さあ、どうぞ召し上がれ」

「あ、ありがとうございます…」

カレーをスプーン掬って食べる間、赤屍はずっと薄い笑みを浮かべて聖羅を見守っていた。

「今日も一日お疲れ様でした」

「あ、はい、ありがとうございます」

「少しマッサージしましょうか?」

「い、いえっ、いいですっ!遠慮します!」

「遠慮などなさらなくて良いのに」

どこまで本気なのかわからない。
でも、とりあえずカレーは美味しかった。
サラダも。デザートも。

「明日の朝に食べる分も用意しておきました。レンジであたためて食べて下さいね」

「は、はい」

「お昼は良かったら休み時間に連絡して下さい。貴女さえよければご馳走しますので」

「いえ、そんな…」

「私が貴女と居たいのです。嫌ですか?」

「い、いえ、嫌というか…」

「良かった。それではご連絡お待ちしております」

赤屍が立ち上がる。
帰るのだ、と思った瞬間に感じたのは寂しさだった。

いけない、いけない。
こんなに甲斐甲斐しく尽くすようなことをされてしまうから、ついほだされてしまうところだった。

「…………クス」

そんなことなどお見通しとばかりに笑われて赤くなる。

「嫌いです!」

「それは残念。私は好きですよ」

そんなことをさらっと言ってしまえるこの男が本当に苦手だ。
いつかころりといってしまいそうで怖い。

「それではまたお会いしましょう」

ドアが閉まり、赤屍の姿が見えなくなるとほっとすると同時に強烈な寂しさを感じた。

ころりと転げていってしまう日は案外そう遠くないのかもしれない。


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