開花宣言が発表され、東京タワーが桜色に染まっていた頃、私は残業に忙殺されかけていた。 仕事を放りだして逃げた上司の尻拭いをするためだ。 帰宅したのは日付が変わってから。 だから疲れきっていて日課のニュースサイトのチェックもそこそこに眠りについたのだった。 翌日になっても疲労は完全には消えておらず、倦怠感を引きずっていた。 朝のニュース番組ではしきりにお花見を勧めていたが、とてもじゃないがお花見ムードどころではない。 お弁当を作る気力もなく、昼は何か適当に買って食べようと思っていたところ、突然玄関のインターホンが鳴った。 出掛ける支度をしながら慌ただしくドアを開けると、 「おはようございます、聖羅さん」 黒衣の運び屋が涼しげな笑みを浮かべて立っていた。 「昨日はお疲れさまでした。良かったらこれをどうぞ」 片手に持った紙袋を私に押し付け、彼はにこやかに続けた。 「お弁当です。今日は作る気力が無かったでしょう?」 「どうしてそれを…」 「貴女のことなら何でも知っていますよ。何でも、ね…」 背筋がぞわっとしたが、突き返すのも怖い気がしたので、一応お礼を言って受け取っておいた。 「それでは、お仕事頑張って下さい」 そして、やって来たお昼休み。 紙袋の中身を取り出して休憩室のテーブルの上に並べる。 桜色の高級そうな風呂敷に包まれた二段重ねの立派なお弁当箱、デザートらしきものが入ったミニサイズの保温容器、ケースに入ったお箸、それに、水筒。 お弁当箱を開けて思う。 「…私が作るのより美味しそう…」 ちょっぴりショックを受けながらも食べ始めた。 タケノコご飯も唐揚げも菜の花の辛子和えも、とても美味しかった。 デザートは、桜の花びら入りゼリー。 食べ終わってから気がついた。 これはまるでお花見弁当みたいだと。 お弁当箱の下から出てきたメモを見て、それは確信に変わった。 “桜が見頃になったら、またお弁当を作りますのでお花見をしましょう” メモにはそう書かれていた。 Jの署名とともに。 おはようからおやすみまで暮らしを見守られているし、どう考えても危ないし怖い人なのだが、ちょっとだけきゅんとした。 ちょっとだけ。 決してほだされたわけではない。 でも、お花見に行くぐらいならいいかなと思えたのは確かだった。 もうすぐ桜は満開になるだろう。 そうしたら、お弁当を持って一緒に出掛けよう。 もちろん恐怖はぬぐいきれないが、きっと楽しいお花見になるはずだ。 そんな予感があった。 それに、お弁当箱を返さないといけないし。 お弁当箱を洗いながら考える。 それが言い訳だとわかっていても、自分に言い聞かせずにはいられなかった。 そうしないとうっかり沼にはまってしまいそうだったから。 とにかく、今は桜が満開になるのを待とう。 すべてはそれからだ。 お花見も。 私達二人の関係も。 |