1/1 


開花宣言が発表され、東京タワーが桜色に染まっていた頃、私は残業に忙殺されかけていた。
仕事を放りだして逃げた上司の尻拭いをするためだ。

帰宅したのは日付が変わってから。
だから疲れきっていて日課のニュースサイトのチェックもそこそこに眠りについたのだった。

翌日になっても疲労は完全には消えておらず、倦怠感を引きずっていた。
朝のニュース番組ではしきりにお花見を勧めていたが、とてもじゃないがお花見ムードどころではない。

お弁当を作る気力もなく、昼は何か適当に買って食べようと思っていたところ、突然玄関のインターホンが鳴った。
出掛ける支度をしながら慌ただしくドアを開けると、

「おはようございます、聖羅さん」

黒衣の運び屋が涼しげな笑みを浮かべて立っていた。

「昨日はお疲れさまでした。良かったらこれをどうぞ」

片手に持った紙袋を私に押し付け、彼はにこやかに続けた。

「お弁当です。今日は作る気力が無かったでしょう?」

「どうしてそれを…」

「貴女のことなら何でも知っていますよ。何でも、ね…」

背筋がぞわっとしたが、突き返すのも怖い気がしたので、一応お礼を言って受け取っておいた。

「それでは、お仕事頑張って下さい」


そして、やって来たお昼休み。
紙袋の中身を取り出して休憩室のテーブルの上に並べる。
桜色の高級そうな風呂敷に包まれた二段重ねの立派なお弁当箱、デザートらしきものが入ったミニサイズの保温容器、ケースに入ったお箸、それに、水筒。
お弁当箱を開けて思う。

「…私が作るのより美味しそう…」

ちょっぴりショックを受けながらも食べ始めた。
タケノコご飯も唐揚げも菜の花の辛子和えも、とても美味しかった。
デザートは、桜の花びら入りゼリー。

食べ終わってから気がついた。
これはまるでお花見弁当みたいだと。
お弁当箱の下から出てきたメモを見て、それは確信に変わった。


“桜が見頃になったら、またお弁当を作りますのでお花見をしましょう”


メモにはそう書かれていた。
Jの署名とともに。

おはようからおやすみまで暮らしを見守られているし、どう考えても危ないし怖い人なのだが、ちょっとだけきゅんとした。
ちょっとだけ。

決してほだされたわけではない。

でも、お花見に行くぐらいならいいかなと思えたのは確かだった。

もうすぐ桜は満開になるだろう。
そうしたら、お弁当を持って一緒に出掛けよう。

もちろん恐怖はぬぐいきれないが、きっと楽しいお花見になるはずだ。
そんな予感があった。

それに、お弁当箱を返さないといけないし。
お弁当箱を洗いながら考える。

それが言い訳だとわかっていても、自分に言い聞かせずにはいられなかった。
そうしないとうっかり沼にはまってしまいそうだったから。

とにかく、今は桜が満開になるのを待とう。
すべてはそれからだ。

お花見も。
私達二人の関係も。


  戻る  
1/1
- ナノ -