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ルームシェアのようなものだと思えば良いのですよ、と運び屋は言った。
そんな風にお気楽に考えられればどれほど良かったか。

「ただいま帰りました」

「お帰りなさい、聖羅さん。お疲れさまでした」

チノパンに黒のニットというラフな格好で出迎えてくれたのは、このマンションの家主である赤屍蔵人だ。
聖羅はつい先日から、その一室を間借りする形で同居を始めたばかりだった。

家賃は格安。
部屋は10畳のフローリングでトイレ付き。
風呂場とキッチン、リビングとダイニングは共用。
生活費や光熱費は全て向こう持ち。
電気も水もガスもネットも使い放題でも文句は言われない。
雨の日や雪の日、帰りが遅くなる時は、車の送迎付き。
およそ、これ以上ないほどに理想的な恵まれた環境。

「食事にしますか?お風呂を先に?それとも、私にしますか?」

「えっと、お風呂お先に頂きます」

「お風呂ですね。わかりました。上がったらすぐに食べられるように用意しておきます」

「すみません、ありがとうございます」

最後の選択肢にはあえて触れないようにしたのだが、特に気にしている様子はないので安心した。
この男の冗談は心臓に悪い。
冗談じゃなかったらもっと悪い。
触らぬ神に祟りなしだ。

お風呂に入って汗と埃を洗い流し、メイクを落としてから部屋着に着替えてリビングへ行くと、既に夕食の支度が整えられていた。
どれも美味しそうだ。

意外な事に、赤屍は家事が出来る。それもハイレベルで。
全く生活感を感じさせなかったので、初めてそのことを知った時は驚いたものだ。
元は外科医だと言うし、何でも器用にこなせてしまうものなのだろうか。

「何かお手伝いすることはありますか」

「いえ、すぐに食べられますよ」

どうぞ座って下さい、と言われて、リビングのソファに腰掛ける。

「さあ、どうぞ召しあがれ」

「ありがとうございます、頂きます」

食事をしながら思った。
まるでグレーテルになった気分だ。
満腹になるまで毎日せっせと食べさせられて、頃合いをみて食べられる。
赤屍が自分を見つめる目を見ていると、どうしてもそんな想像をしてしまう。
怖くてたまらなかった。

「デザートにアイスがありますよ」

お好きでしょう、と言われて頷く。

怖い、なんて本当は思ってはいけないのかもしれない。
こんなにも至れり尽くせりの環境で何を言っているんだと怒られそうだ。
でも、怖いものは怖い。
かと言って、ここから逃げ出すことも出来ない。
自分のせいで家族や友人に危害が及ぶようなことがあれば、死んでも死にきれない。
赤屍はそういうことをほのめかしているのだ。
だから逃げられない。

「美味しいですか?」

アイスを食べながら頷く。
赤屍はワインを飲みながらそんな聖羅を見つめていた。
それはそれは愉しそうに。

「私にとって仕事の価値とは、その過程をいかに楽しめるかにあります」

唐突に赤屍が言った。

「この生活もそうですよ。私は過程を楽しんでいるのです。貴女が私のもとへ堕ちてくるまでの過程を…ね」

聖羅はアイスのせいでなく寒気を感じて震えた。

「楽しいですよ。実に、楽しい」

本当に愉しそうに言うものだから思わず泣きそうになる。
どうしたら逃げられるだろうかと考えたけれど、どうしても答えが見つからない。

楽しい共同生活は続く。


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