【38】



「二人とも、がんばってねー」
「あぁ。またね、アリス」
「…………」

 台座のところで俺たちに向かって手を振るアリスに振り返す。さっき知ったことだが、台座だと思っていたところは中がくり貫かれて泉になっていた。その上をふよふよと浮いているアリスの姿は不思議なものだが、彼女自身が当然といった顔でそうしてるものだから、気にするのも馬鹿らしくなった。
 部屋から出る通路を進みながら、横で肩を落として歩く青年に目を向ける。ため息もつけないほど疲れきっているのか、猫背になった姿がなんとも哀愁を漂わせていた。

「おい、お前もアリスに手を振っておけよ。あの子また怒り出すぞ」
「!」

 俺に言われて、青年はのろのろと背後を振り返ってアリスに手を振った。彼女は嬉しそうに「バイバイ」と言って見送ってくれた。血管のように張り巡らされたパイプ管が左右に迫る通路は途中で折れ曲がり、そこを曲がると彼女の姿が見えなくなった。
 一息ついて、疲労困憊な青年に苦笑した。

「なかなか元気な子だな。彼女か?」
「…………」
「違うのか。別れた、ということか?」
「…………」
「それも違うのか? ならアリスはお前をからかってただけか」
「…………」
「えっ? そうでもない、って……。お前、あの子とどういった関係なんだ?」

 問いにことごとく首を振る青年に訊くと、青年は困ったように首を捻った。それは、分からない、といった風に見える。困っている、と見えなくも無いが、俺は青年とアリスの関係は複雑なものなのだろうなと納得することにした。

「お前たちの関係はよく分からないけど、とりあえず分かったことは、あの子は怒らせない方がいいってことだな」
「…………」

 渋い顔で深みのある頷きを返す青年の姿が面白くて笑ってしまった。恨めしそうに俺を見る青年に「悪い悪い」と謝り、ふと手に握ったものを確認するように力をこめる。俺の手には今、無骨な剣が握られている。それは前に青年に会った時に、彼が持っていたものだった。アリスに聞いたが、これは「守護の剣」と呼ばれるものらしい。

 これを持っているとちょっとした効果があるらしいが、アリスから聞いた話はファンタジー世界の話のようだった。敵から攻撃を受ける際に、薄い防護の膜が張って少しだけダメージを軽減してくれるらしいが、……なんとも、現実味の無い話だ。
 それを言ってしまえば、この狂ったような世界や、レイヴンたちが住んでいる世界もそうなのだろうが、……俺はまだそういった感覚に慣れることが出来なかった。

「なぁ、これで、その、戦うんだよな」
「…………」
「いや、俺は剣を振るったことが無いから、さ……。正直言うと、足手纏い、だと思う……」
「…………」
「ん、なんだよその顔……。なんか俺の発言でひっかかることでもあったのか?」

 青年は俺を見て不思議そうに首を傾げる。そんな青年の反応に釣られて俺も首を傾げると、深刻そうな表情で俺をぺたぺたと触りだした。

「な、なんだよっ!」

 俺の額に手を添えて、熱を計りだした青年に戸惑う。青年はしきりに首を捻ってうんうんと唸っていた。それからぱくぱくと口を動かして俺に何かを伝えようとしているが、あいにく俺には何もわからなかった。

「悪いけど、お前が何言ってるのか分からないよ。……その、足手纏いには、極力ならないようにするから、……頑張るから……」
「…………」
「……こんなことを言うのもあれだけど、…………、……その、……み、見捨てないでくれよ……」
「…………!」
「なんだよ、その顔。……よろしく、頼む……」
「!」

 青年は笑って頷いてくれた。いつの間にか先頭を歩いていた俺を追い越して、肩越しにまた頷く。青年の後ろをついていけ、ということだろうか。俺は大人しくついていくことにした。
 青年の後ろを歩きながら、俺は胸に広がる温かさを噛み締めた。
 嬉しい、のだと思う。アレクセイの姿でいる時の俺は足手纏いで、なんの役にも立たない、体調不良で皆の足並みを乱すだけの害悪な存在だったから、青年が俺の存在を認めてくれたのが嬉しくて恥ずかしかった。

 俺は、アレクセイじゃない。
 彼になんてなれるわけがない。
 けどあちらの世界の俺は、アレクセイの中に俺がいることを悟られるのは嫌だった。妙な意固地のなり方をしているとは思う。だが、アレクセイの中にこんなみっともない一般人がいるだなんて、思われたくはなかった。
 記憶喪失と思われてるほうが、まだ……。

 だがそれも情けない姿であることには変わりない。
 自己嫌悪に陥る。俺があの人の中にいるせいで、あの人の立派な姿を汚していく。
 そうしたいわけじゃないのだが、俺は、…………。
 思考がまた同じことを繰り返す。何度も思い出しては己を責めた。これではダメだ、と思考を切り替える。今だ。今のことを考えろ。

 俺は青年に認められている。
 アレクセイのときは足手纏いかもしれないが、せめてここではちゃんと働こう。
 そう決心して顔を上げた。
 青年の背中が見える。長い長い通路を抜けてやっと次の部屋に出た。奥行きのある部屋は、光源が乏しいせいか全体を確認することができなかった。

 青年が立ち止まって俺に合図を送る。
 部屋の奥に何か動いているものがあった。
 俺は剣を両手で持ち、いつでも振るえるように構えた。


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