【37】



 誰かに揺さぶられている。頬を軽く叩かれて夢から覚めたように目を開くと、目の前に心配そうな顔をした青年と、その後ろに見たことのない赤毛の女の子がいた。

「ぅ……?」
「あ、起きた。もー、びっくりしたんだよ。いきなり倒れたりなんかして」
「え……?」

 赤毛の女の子がむっすりと腕を組み、俺に非難を向ける。倒れた? いつ? 俺はどうしてこんなところにいるんだろうか。
 何故か痛む首をゆるりと巡らして周りを確認する。パイプ管が無秩序に天井を這い、壁は金属板が剥き出しになっている。部屋の真ん中には天井まで届く一抱えほどの柱が円を描くように何本も建っており、俺はその傍で目を覚ました。
 柱に囲まれる、床から隆起した台座のようなものと、その上に……完全な球体をした感覚球が、膜に包まれて浮遊していた。それを見た瞬間総毛立ち、眩暈がして頭を抱えた。
 あぁ、ここはどこだったっけ。


【神経塔。神に至る道。至るはすなわち経ると読み、粛々と頭を垂れてその道を進め。同列に続く同じ造りの部屋は人々を厳かにさせ、――への敬愛と畏怖を――し、――を讃え、敬意を払い――――、――は人々を助け――――】


 それは、バクティオン神殿でも同じことだろう。
 ノイズの激しい何かの文言は脳みその中を這いずる虫のように駆け巡る。神に至る道。神を讃える塔。神と等しく讃えられた始祖の隷長。


【バクティオン神殿を進んでいく誰かは頭を垂れることを知らぬ。神など信じることなくただの獣風情が世界を統治し人を虫けらと同じ目で見て管理し道を外れれば殺し世界を我が物として嗤う獣が仲間を希望を食い殺し蹂躙し踏み潰し身体だけならず心も潰しそんなただの獣風情が神と崇められていることを許せず許さない許さない許さない許すものか頭を垂れることなく神へと至り虫けらと同じだと侮った人間が獣を一匹残らず殺し尽くす】

【神の皮を被った獣を殺し尽くせ】


 ノイズが激しい。頭の中を虫が駆け回る。苦しくて仕方が無い。悲しいという感情がなんだというのだろう。身体中を駆け巡る悲しみが苦しくて痛い。痛い、痛い痛い痛い。
 苦しい、苦しい、苦しくて苦しくて気が狂いそうだった。もうすでに狂っているのかもしれない。狂えばいいのに。狂気の前では倫理も秩序も法律も関係無い。俺は俺になれるし何にでもなれる。苦しくなくなるだろうか。殺せ殺せ殺せ私の大事なものを奪ったものを殺せ置いていってしまった――はもう戻っては来ない死んでしまった――は戻っては来ない――は戻って×××××××。…………俺は一体だれなんだろう。

「ねぇ、大丈夫?」

 声に、我に返る。間近に赤毛の女の子がいて驚いた俺は反射で後退った。

「ぁだっ!?」

 だが、尻が何かに引っかかって上手く後ろにいけなかった。勢いのまま身体を倒した俺は後頭部を打ち、あまりの痛みに悶える。女の子の呆れた声と、その横にいる青年の――金属が擦れ合うような――笑い声にむなしくなった。一体、俺は何をしているんだろうか。
 一頻り悶えた後、赤毛の女の子が無理やり引っ張って起こしてくれた。

「もう、ボクのことがそんなに嫌なの!? ボクのことを見るなりいきなり倒れるし、今度は頭を打つし! 君がそうなら、ボクも君のこと嫌いだからね!」
「え、えぇ!? ちが、違う。ごめん。嫌いとか、そういうのじゃなくて、びっくりして、あの、ごめん……」
「謝っても許さないから」
「え!? あの、本当にごめん。悪気は無かったんだ。その、えぇと……。俺ちょっと混乱してるんだけど、その俺、君を見て倒れた? 辺りの記憶無くて、じゃなくて、いえ、あの、……ごめんなさい……」

 伝えたいことを伝えられず、支離滅裂な謝罪をする俺を憐れに思ったのか、赤毛の女の子は途端に怒りの表情を引っ込めて近付いて来た。彼女は滑るように傍に移動し、そこで初めて気が付いた。彼女は床に足をつけていなかった。宙に浮き、俺と同じ目線になるために膝を折って宙を滑る。
 ふわふわと浮く赤毛の女の子は、難しい顔をして俺を観察し、うーんと唸る。間近で見る整った顔に緊張して動けない。息を止めて耐えた。

「ふんっ……もういいよっ。十分反省してるみたいだし」
「あ、ありがとうございます……」
「敬語じゃなくていいよ。ねぇ、ボクはアリスって言うんだ。君は?」
「俺? えっと、―――って言う、んだけど……」
「あれ? 君は自分の名前を知ってるんだね」
「え?」
「あのね、ボクを弄んだこの人は自分の名前を覚えてないんだって。だから君もなのかなーっと」
「覚え、え!? 弄んだ!? お前こんなかわいい子を弄んだの!?」

 驚いて青年を見ると首がもげるんじゃないかというぐらいに必死に否定していた。両手もぶんぶんと振って必死になっている青年を見て、アリスを見ると、彼女は頬を膨らませて顔を赤くしていた。

「もぉ! もぉ! やっぱりボクは遊びだったんだね!?」
「……っ!? ……!!」
「え!? お前やっぱり弄んだの!?」
「……!!! ……っ!?」
「そうだよ! ボク、あんな気持ちになったの初めてだったのに……!!」
「さ、最低だな……こんなかわいい子を……」
「……っ!!! ……っっ!!!!」

 青年は必死に無実を訴えていた。俺に掴みかかり泣きそうな顔で縋られたが、俺はどちらを信じたらいいのか分からず、とりあえず青年を宥めすかせる。アリスはそんな青年の背中をバシバシ叩いて怒りを発散させていた。賑やかな状況に、俺はなんだか笑ってしまった。
 ノイズ音はもう聞こえなくなっていた。


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