【36】



 ずるずると、這いずる。
 異様に長い節くれだった枯れ枝は、変容した腕だ。枯れ枝の先に付いた五指は腕に比べて短く、見た目に反して物を掴む力は強い。折りたたまれた腕を伸ばし、進むべき方向の地面を掴んで引き寄せる。
 ずるずると、這いずる。
 左半身は地面に接している。引きずる際に邪魔な部分は無い。左腕はいつの間にかなくなっていて、肩が直接砂利に触れている。頭を持ち上げる筋力は無く、落ちるままにしている頭も地面を擦り、左目は使い物にならなくなっていた。
 残った右目を大きく見開いて、ずるずると這いずる。
 投げ出された両足も、使い物にはならない。

 俺は、今、どういった生き物なのだろう。

 人の身体をしているはずだ。無心に進む方向に右手を伸ばして、地面に指を突き立ててお荷物である身体を引きずる。俺はどこに進んでいるんだろうか。
 今通っている場所は狭い道だ。建物と建物の間、退廃した赤い世界。ずるずると、ゴミ以下の存在になった俺はそんなところを這いずっている。

 見開いた右目で、きれいなかたちをした石を見つけた。
 俺はそこで止まって、長い腕で石をつまみあげる。眼前に寄せたひし形に近い石は、血でも塗られたように赤かった。きれいなものだから、持って行きたかった。でも、今の俺にはそれを入れておける場所が無かった。
 そこでひらめく。思いついたことを実行する。
 赤い石を口の中に含んで、ころころと転がした。歯に当たるたびにからころと鳴るのが面白い。移動を再開する。

 俺は、どこに向かっているんだろう。

 分からない。けど、どうでもいい気がした。
 ぎょろりと右目を空に向ければ、規則正しく振り上げては引き寄せる枯れ枝と、建物に区切られた赤い空が見えた。これは夢の中なのか。
 いつもより、変な夢だった。

 がさごそと、ビニール袋が暴れる音が聞こえた。
 それを聞いて思いを馳せる。
 俺が飼っていた猫のことを、思い出す。
 生まれてからずっと一緒に育った老猫は、ビニール袋に詰めるもの。
 動物が死ねば、それは生き物ではなく器物。
 いらなくなったゴミは、大きさに合わせてビニール袋に入れて捨てるもの。

 大好きだった猫は、ゴミになって捨てられた。

 眼球に涙が盛り上がる。顔を幾筋も伝って、地面になめくじのように跡を残していく。
 ははおやも、あのねこのことをかぞくとおもっていると、おもっていたのに。
 それはただの思い違いで、俺が大切な家族だと思っていたものは、器物でゴミだった。
 あれからだろうか。いきることにたいして、むきりょくになったのは。
 母親は言ったのだ。「今朝死んだわ」と。俺が学校に行っている間に死んだと。
 ねこはおれのことをまってはくれなかった。いつかはそのときがくるとわかっていたけど、そのしゅんかんには、おれはそばにいれるとかんちがいしていた。

 がさがさがさがさがさ。

 大事だった猫は、自分はゴミではないと主張する。
 おれはあのとき、ははおやのこうどうがしんじられなくて、ははおやのてでもっていかれるびにーるぶくろをただみていただけだった。
 この窮屈な袋から出してくれと、俺に助けを求めている。

 あの人は死んでいると言っていたが、袋を開けばもしかしたら最期の瞬間を迎えようとしている猫に会えるかもしれない。俺の大事なものが入ったビニール袋はどこだろう。そうか、俺はそれを探すために進んでいるのか。俺ならきっとそうするだろう。今まで怖くて逃げ回っていたけど、ようやく認めることができた。あの袋の中には猫がいる。俺の大事な猫が最期のときを俺に見てもらおうと主張している。だから俺はその袋を探している。大事なものの最期を見るために。

 がさがさがさがさがさ。

 ずるずると、引きずる。
 いもむしのようだと、思う。顔面を削って進んでいくうちに、今までの砂利とは違ってタイルが敷かれた場所に出た。右目から見える視界も開けて、円形状の広場のようなところに出た。

 ザリザリザリザリ。

 ノイズ音がする。不愉快な音の摩擦に気分を悪くしながら、俺は右腕を振り上げる。進んで進んで、広場の中央へと向かう。ノイズ音に向かって進み、俺の視界にベンチの足が入ってきた。さらに進んで、誰かの両足があった。ぐりっと上を見上げると、口から血を滴らせている男がいた。赤色の男。目を閉じて白い顔をした男。俺はその人に起きて欲しかった。

「ア゛、ア゛ァれ゛、グジェ、ざ、ん」

 口に含んでいた石がこぼれて、その人の足元に転がる。俺は右腕を振り上げて進む。その人の横に、ビニール袋が置かれてあった。俺は、それに向かって右腕を振り上げた。袋に叩きつけられた腕は、今まで真っ直ぐに頭上に伸ばされていたのに、急に変な方向に曲げたものだから関節がみしみしと軋み悲鳴を上げた。
 袋を上手く掴むことができなくて何度も掴む。何度も開いたり閉じたりをする。長い。この腕は、この指は長すぎる。何度も掴むのを失敗して、さらに力が強いものだから、中のものごと握りつぶしてしまった。やわらかく、つめたいなにかを、何度も。

「ア゛ァ、あ、あぁあガ、あ、アァアア゛ア゛」

 涙で視界がぼやける。
 違う。あの人が持って行くビニール袋を見つめていただけの罪は、きっと、重い。そうでないと俺が立ち行かない。そうでないと俺が許せない。俺が殺したも同然なんだ。ただ見ているだけでも、人は犯罪者だ。ただ見ていただけだから、犯罪者だ。
 だいじなもののはずなのに、どうしてただみていただけだったのか。

 ずっとかんがえて、ずっとなにもかんがえられなかった。
 かんしゃくを起こして手のひらを叩きつける。それで何かが変わるわけでもないのに、暴れて暴れて、俺は赤い人を見た。
 俺の腕が当たってしまったのか、その人の頬にさっきまで無かった切り傷ができている。ノイズ音が弱まった気がした。


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