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 人の視線に晒されているのが怖くて仕方が無い。宿屋の敷居を跨ぐと同時にフードを深く下ろす。見えるのは自らの足元とちらちらと翻る紫色。彼の後ろをついていき、借りた一室にへと戻る。
 ユーリ達に嫌われている俺に気を使ってくれたのか、俺に割り振られたのはレイヴンと相室の二人部屋だ。お金が無駄にかかるだろうに、こんなところでも迷惑をかけている。レイヴンも他の仲間と交流したいのではないかと、彼に対しての申し訳なさと、俺から離れていくかもしれないという不安に気分が悪くなる。

 部屋に戻って早々気分が下を向いた。
 荷物をベッドの上に置くと、疲れがドッと全身にのしかかってきた。
 ベッドの縁に腰を下ろす。一緒に部屋に入ったレイヴンが、荷物を整理している音がする。

「疲れた? 寝ててもいーわよ」
「いや、いい。……それより、本当に大丈夫なのか」
「んー? あぁ、親衛隊? さすがに奴さん達も馬鹿じゃないからね、俺達がこの宿に泊まってるってことぐらいはすぐに分かるんじゃない」
「…………それは」
「だーいじょうぶだって。お相手も手を出せない理由っていうもんがあるのよ。路地裏に引きずり込んだのは、あれはただ話をしたかっただけなんじゃないのかね」
「話を、か」
「盲目だけど、その執心はアレクセイの邪魔にならないように、ということに関しては冴え渡ってんのよね。だからまぁ、心配するほどのことじゃねぇのよ」
「あの、目くらましとやらは」
「嫌がらせも込み込みで釘刺し。あんまりお痛すると打ち込むぜ、ってね。ほれ、これ飲んどいて」

 そう言って手渡されたのは細身の瓶だ。色付けされていない小ぶりな透明の瓶は、細かい傷が多くある。何度も再利用されている跡だ。その中には薄い青色が揺れている。これはなんだろうか。

「あんまり食べれてないでしょ。栄養剤。美味しくはないけど、できたら飲んでちょうだい」

 栄養剤。その情報にまじまじと薄い青色の液体を観察する。
 何を原材料にしているのだろう。俺が知っている栄養剤は黄色がほとんどだ。滋養とかなら漢方薬だが、それを液体にしたのでも茶色か。
 青色、青色か。ちょっとした普段の物でも、世界が違えば大きく異なるものらしい。細身の口に嵌められたコルクを引っ張って、中身を飲む。味は薬草の苦味が色濃かった。青葉の臭さというより、乾燥させた物の独特のえぐみか。
 青臭いものは苦手だが、これぐらいならまだいける。こういうものは一気に飲むに限る。煽って、早々に空けた。

「飲んだ? 早いねぇ。そんじゃあちょっと口直し用の水貰ってくるわ」

 そう言って部屋から出て行ってしまった。
 俺は手の中にある瓶を弄びつつ、纏まらない考え事に耽る。考えることが多すぎるし不安もそれ以上にありすぎる。眉根を寄せて青年のことを考えた。
 あれからどうなったんだろう。塔の中に入って、剣をもらって、むき出しのパイプ管やらが形作る通路を歩いて、それからの記憶が酷く曖昧だ。
 思い出そうとすると心が軋むような気がした。よく分からないが、あまり考えないほうがいいのだろうか。

 それにあの、親衛隊のこともどうしたらいいのだろう。
 レイヴンはああは言っているが、本当に大丈夫なのか。俺の命の危機を心配しているというより、迷惑をかけていないかが酷く心配だ。それは今更か。役立たずの俺が彼らに引っ付いているというだけで、もう十分に迷惑だ。
 だが、それに輪をかけるように面倒事がついてくるのは、御免こうむりたい。

 彼らはアレクセイと話をしたかった。
 一緒に行こうと言っていた。
 親衛隊の人間は分かりやすい。尊敬するアレクセイを奪還して、自分たちを導いて欲しいと願っているのだろう。
 けどユーリ達はなんだろうか。嫌悪する人間を連れて、役に立つとは思えないというのに、何故だろう。分からない。
 レイヴンは親衛隊が俺に手を出せない理由があると言っていた。それは何か。
 ……訊いてみようか。

 ノックの音が部屋に響いた。「開けるわよー」と間延びしたレイヴンの声がして、手にコップと水差しを持った彼が部屋に入ってくる。
 水差しの底には輪切りされたレモンが沈んでいる。コップに水を注いで、「ん」と差し出される。礼を言って受け取った。

「アレクセイ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「……なんだ、ろうか」
「昼食は食べれそう?」
「…………いや、いい」
「食べたくない? 食べれない?」
「……手が」
「うん?」
「手を、使うのが……違和感が、あって……」
「え? んん? 手?」

 予想外のことを聞いたとばかりに驚くレイヴンに申し訳なくなる。
 睡眠不足から来る食欲不振もあるが、それに上乗せして手に違和感があるのだ。俺の本来の手よりも大きいアレクセイの手。無骨で長く、よく目測を誤る。コップを持つ感覚にも違和感が付き纏い、気になって気持ちが悪いのだ。

「それじゃあ食欲は普通にある?」
「そこまで食べたいとは、あまり」
「気分が落ち込んでる時はそーなるわなぁ。んー、手掴みで食べやすいものだったらいけそう?」
「あぁ」
「おにぎりとかでいいかねぇ。いよっし、持ってくるわ」

 彼はまた部屋から出て行く。
 訊きたいことは彼が戻ってからにしようか。
 少しずつ水を飲み、どうしてレイヴンはあんなに甲斐甲斐しく俺の世話をするのだろうと思った。
 彼はアレクセイに対して献身的ではなかったはずだ。それとも、ゲームや小説とは違うのか。よく、分からない。
 ぼんやりとしていると眠たくなってくる。寝てはいけない。あぁ、でも、アレクセイを起こさないといけない。早く消えてしまいたい。死にたい。殺してくれ。ずっと眠っていたいというのに、どうして起きてしまったんだろう。
 胸の内でぐるぐるする感情に、水を煽った。


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