30



 朝日が目に痛い。あの赤い夢を長く見ていたせいで、脳が休めていないのだろう痛みがある。重い頭を軽く振り、適当に羽織っただけのフードを目深にかぶる。
 このままでは身体が保たない。ベッドの縁に座り、目頭を揉んで深い息を吐いていると、目の前にコップが差し出された。見上げると、レイヴンの本心を見せない笑顔があった。

「よく眠れた?」
「…………」
「あんまりって感じ? これ、眠気覚ましのコーヒー」
「……すまない」
「俺としちゃあすまないよりも、ありがとうの方が嬉しいんですけ、いや、嬉しいんだけどね」
「…………、……ありが、とう……」
「はいよ」

 コーヒーを受け取り、コップの中を眺める。黒ではなくミルクの入った色をしている。「砂糖はどうする?」とシュガースティックを差し出すレイヴンに、軽く頭を下げて受け取った。飲む気はあまり起きないが、わざわざ俺のために持ってきてくれたんだ。飲まないと。
 シュガースティックを一本いれて、俺はちびちびとコーヒーを飲んだ。
 そういえばコーヒーは頭痛に良いんだったか。煩わしい頭痛もこれで軽減されるといいんだけど。

「大将、ちょっといいですかね」
「…………」

 この部屋には二つしかベッドがない。向かいのベッドの縁に座り、改まってそんなことを言うレイヴンに心臓が嫌な音を立てた。頭から血の気が引き、くらりと眩暈がする。悟られないように顔を手で隠し、なんとか耐える。「大丈夫?」と心配げな声が聴こえたが、それに小さく頷いた。俺に必要以上に構わなくてもいい。

「えぇと、そんな大それたことじゃないんだけど、名前をね」
「……名前……?」
「そうそう。大将って呼ばれるの、嫌でしょ」
「…………」
「俺がそう呼ぶたびに嫌な顔してるし、呼ばないようにした方がいいかなって」
「……不愉快な思いをさせてしまった。すまな」
「いやいやいやいや! そうじゃなくって!」

 慌てて否定するレイヴンを不思議に思い、彼を見返す。レイヴンの顔をまともに見たのは久しぶりな気がする。最初に見たのはあの病室のようなところでだったか。レイヴンは俺と目が合うと、頭を掻いて言い訳染みた物言いで続けた。

「俺はそんな嫌な気持ちになってないですし、それよりもあなたのことが心配なんですよ」
「心配……?」
「何も知らないのに、身に覚えのないことで責められて参ってるでしょ」

 似たような言葉を彼女にも言われたことを思い出す。
 だが俺はアレクセイのしたことを知っている。俺という存在を彼らから隠したいがために黙っているだけだ。俺は、俺の存在を認めたくない。
 アレクセイに対してではあるだろうが、気にかけてくれているレイヴンにもそうするのは心苦しい。いっそのこと全部知っていると言ってしまおうか。……いや、そうすると俺がここに存在してしまうことになる。嫌だ。俺はここにいたくない。
 黙り込んでいると、レイヴンがさらに話を続けた。

「俺はあなたのことが心配なんですよ、アレクセイ」
「…………っ」
「おっ。良い反応?」

 レイヴンがニヤッと笑った。俺はレイヴンの口から出た名前に、歓喜したらいいのか落胆したらいいのか分からずに戸惑う。
 俺は、そう、ここに存在したくない。だからアレクセイと呼ばれるのは、記憶喪失のアレクセイとして認められているということだ。俺じゃない。俺はここにいない。……俺は、求められていない。

「まー、青年たちはああだけど、俺や嬢ちゃんはあなたのことを気にかけてるんで、何かあったら溜め込まずに言ってちょーだい」
「…………」
「それと、俺が敬語だと何かと話しかけづらいっしょ。てなわけで今から敬語禁止にしまーす」
「……そうか」
「そーゆーこと。そんでアレクセイ、今日は休みだし自由に動いてもオッケーでね」
「星喰みは」
「それも大事なんだけどねぇ。だからって無理して身体壊しちゃ何にもできないし、気張ってばっかじゃ疲れるわ」
「……そうか」
「そうそう。そーゆーこと」

 いつの間にか引いていた血の気が戻ってきていた。コーヒーを飲みつつ、話す合間に身振り手振りどうも落ち着かないレイヴンを眺めていた。ここにいるのはアレクセイだ。俺はここにいない。そのことに色々と思うことはあるが、それよりも深い安堵があった。

「というわけで今日は何する? 街にお出かけでもいいと思うんだけどね」

 レイヴンの言葉に、俺は頷いた。


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