【27】



 前を歩く青年に黙々とついていく。俺に目的は無いし行く宛も無い。ただ今は夢から覚めたくなかったので、夢の中でまだ信用できる青年の近くにいる。
 結局死体は見つからなかった。引きずった血の跡を追って細い路地に入ったが、途中で血溜まりがあったきり他の痕跡は途絶えていた。持ち上げて運んだのかと辺りを散策したが血痕も足跡も見られず、あるとすれば真上に引き上げられたしか考えられない。血溜まりの近くで頭上を見上げたが塗装の剥がれた建物の壁があるだけだった。注意深く見ても何かが打ち込まれた跡は無い。二人で色々と調べたが何も発見できず、きまずい空気が流れた。

 ここにいてもしょうがない、とばかりに青年が歩きだして俺は慌ててその背中を追った。お互い無言だった。
 怒ったのだろうか。俺に背を向ける青年を苦々しく見る。誰でも自分の死体があると言われて実際に何も無かったら怒るか。俺は自分の行動に後悔していた。
 あれは俺の幻だったのだろうか。生気の無いうつろな目、食い荒らされた腸、抉られた心臓、大量の血の上に転がる死体。思い出して気持ち悪くなる。それにあれが幻だとは到底思えなかった。フェローの時の鼻を突く血臭と同じだったのだ。

 口元を押さえて吐き気を堪えていると、青年が肩越しに振り向いた。彼は何かを言うように口を動かし困った顔をする。何が言いたいの分からない。もしかしてついてくるなと言っているのだろうか。
 細い道の途切れるところで足を止め、俺に向き直る。青年は頭に角を作ったり、手を開き気味に威嚇するポーズをとる。そして後ろを指さし首を傾げる。彼は俺に何を伝えたいのか。
 伝わらないことに焦ったのかもう一度頭に角を作る。今度は俺を指さし胸元で両手をクロスさせて首を横に振った。また後ろを指さし首を傾げる。

「……もしかして、あの角女がそっちにいるのか」

 俺の言葉に青年が悲しそうに頷いた。またジェスチャーが始まり、頭の横に両手を添えて上にあげたり、首を両手で掴んで伸ばすような動作をしたり、最後は決まって悲しそうな顔をした。
 後半は何を示しているのか分からなかったが、俺は角女に会いたくなかったので「分かった」と言いきびすを返す。青年に腕を捕まれて非難を向けるが、彼は懇願するように人差し指一本を立てて何回も頭を下げる。
 この前の夢の時もそうだったが、彼はどうしても俺と異形を会わせたいみたいだ。青年は自分の背中を指さしてまた頭を下げる。どうやら自分の背中に隠れていてもいいから、という意味らしいが、どうしたものかと口を濁らせた。

「……分かったよ。一度だけだぞ」
「!」

 青年は顔を上げて嬉しそうに顔を輝かせた。思わずたじろぐ。腕から手を離して青年は身体の向きを変えた。本当は嫌だったが、先ほどの死体の件の申し訳なさもある。それに異形と会うと言っても長居しなければ良い話だ。少し見て逃げればいい。青年の後ろを追って開けた場所に出た。

 その先はまさに地獄のような光景だった。悪魔達のすみかに自ら赴いたような錯覚を起こす。建物と建物の間隔が広い道に異形達が集まっており、ボロ布で全身を巻き付けた背の低い何かに、魚の背骨に似た異様に長い首を持った異形がいる。ゆらゆら揺れる長い首の先は小さな頭がついており、骨が固まっているのか顔が頭上を向いたままぶつぶつと悲しげに何かを呟いている。
 俺は青年の背中に隠れて恐怖に震えていた。奥の方にもちらちらと何かが見えるのでまだ他にもいるのだろう。
 青年がゆっくりと歩を進める。比較的近くにいた頭の長い何かがこっちに気付いてボロ布からはみ出た腕らしきものを上げた。

「あ! コンニチハ!」

 変声期の始まっていない高い少年の声だった。背の低い少年は体中を布で巻いて、見えるのは目元だけ。栄養の行き届いていない腕は細く手首には手錠らしき鉄の輪があった。ちぎれた鎖がちゃらちゃらと音を立てている。頭部分が異様に長く厳重に布を巻かれているのが奇妙に見えた。青年と少年は知り合いらしく二人を観察する。

「おやかたに頭袋を大きくしてもらったんだ。コレ、コレ、前よりもいっぱい物が入るようになったよ」
「…………」
「君のは拾ってない。後ろの人って?」

 少年は俺に興味を持ったらしく長い頭を横に傾けて、自重に堪えられずに「おっとっと」とふらついた。角女や視界の端でちらちら見える魚男よりも幾分かマシな見た目をしている少年。言葉もしっかりしているし、緊張に固まっていた身体から少し力が抜けた。

「はじめまして……」
「ハジメマシテ。ぼくは物の者。落ちてる物とかあつめるの好きなんだ。細いのとか、頭にね、ぶすってずぶぶぶって入れるのが心地よくって、楽しい」
「そ、そう……」
「きみは?」
「俺は、別に」
「変なの」

 物の者と名乗った少年は鼻歌を歌いながら鉄の棒らしき物を頭に押しつけている。布の隙間から徐々に埋没していく様は見ていて気持ちが良いものじゃない。青年のコートを引っ張り、ここから去ろうと意思表示をするが、上手く汲み取ってくれずに次は首の長い男のところに歩を進めた。
 ゆらゆらと首を揺らしていた男は近づいてきた青年に目を向けると小さな口を開いた。

「うおおおおおん、うおおおおおんって奇妙な声が神経塔から聞こえてくるんだ。あれはなんの声だろうな、私のせいかもしれないと考えると、狂ってしまいたくなる」
「…………」
「何かしゃべれよ。お前はいつもそうだ。私を責めているのか? ……あぁ、そうだな、私は死ぬべきなのかもな」
「…………」
「あぁ、私は、私は……私は、……あぁ」

 哀れに息を吐く男。その後は俺たちなぞ眼中になく自分の殻にこもってぶつぶつと何かを呟いていた。頭がおかしいのだ、こいつらは。俺の理解の範疇にない化け物共。人の言葉を弄しただけの、意思疎通もできない、する価値もない生きているだけの物。
 蔑みと恐怖。俺は怖くなって青年のコートを強めに引っ張った。青年が俺を振り返り、俺は「戻ろう」と情けない声を出した。
 青年は一瞬の間の後困ったように笑った。青年が歩き出す。慌てて追いかけて、その足が角女のところに向かっていることに気付いて肝が冷えた。

 中の綿を露出させ存分に汚れた一人掛けのソファに座り、ぼんやりと空を見上げているのは、俺を存分に恐怖させた角女。足を揃えてひざの上に手を置く姿は非常に女性らしい。頭の角と異常者を予想する空ろな目がなければ上品にさえ思える。
 青年が迷わず角女の前まで行き、彼女は人形のように首をガクッと曲げて青年を見上げた。

「これでやっと話せる」

 角女がそう言い、青年が嬉しそうに俺を見た。

「これは僕の言葉だけど、分かる?」
「あ……、えっ……?」
「君と話をしたかった。聞きたいことがある。君はなんで歪んでいないんだ? 僕と同じ? あの建物から出てきた? 僕は死んだのか? 君も死んだって、僕と同じなんだろうか? 君はあの塔に行くのか? 僕と同じで? 罪悪感があって償いに行く? 僕は何に罪悪感を覚えているか分からない、君は自分を知ってる?」
「ちょっと、ちょっと待って。そう一気に聞かれても困る。というか、その女の人の言葉、君か?」
「ごめん、やっと話せることが嬉しくて。僕はそう、僕だ」

 青年は深く頷く。同時に角女の首がガクリと逆に曲がり、口を半開きにした状態で固まった。


- 28 -
[*前] | [次#]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -