昔の話 2

 殺さなくては。
 私は走っていた。夜の学校の敷地内を走っていた。いつもより強い風に真っ向から逆らい、押し退けて進む私の体温を冷たい風が奪っていく。筋肉の摩擦で発する熱が汗として流れ、その熱を送り届けているはずの心臓が冷え切っていて気持ちが悪い。
 今から私は人を殺す。手に握ったナイフが腕を振るたびに月明かりを反射してキラキラと光る。全力で走っていた。まっすぐ前を向いている私の視界にちらちらと見える光が、私がこれからやることを示していた。
 殺さなくては、殺さなくては、殺さないと、……彼に会えない。

 私は愛していた。彼を愛していた。彼だって私を愛していた。だから殺さなくてはならない。彼のために、彼のために、私は行動しなくてはならない。
 私は親友を殺さなくてはならない。私を今まで支えてくれた親友を殺さなくてはならない。そうしないと会えない。そう、彼女が言った。

 私の荒い息だけが夜の敷地内に響く。グラウンドを突っ切って寮に向かって親友の部屋に行って扉をノックして出てきた親友を刺す。でももし悲鳴をあげられたら? 助けを大声で求められたら? 私が犯人だとばれてしまう。それはダメだ。私は殺人犯として捕まってはならない。
 私は考えた。どうやって誰にも知られずに親友を殺すか考えた。

 寮に着いてそのままのスピードで階段をかけあがった。体力づくりをしているとはいえ階段を勢いよく駆け上がると筋肉が悲鳴を上げて手足が重くなっていく。冷たい血が中心から広がっていき気分の悪さに膝に手をついた。冷たい夜の中全力で走ってきたせいか血の味がした。階段の中腹で息を整え、少し回復した頃にゆっくりと階段を上り始める。

 殺さなくては。
 手に強く握られたナイフと、ズボンのポケットから覗くスリングショットをおまもりに、ようやく親友の部屋の前に辿り着いた。私は手に持ったナイフをポケットにしまおうとして、握った手が開かないことに焦った。逸る気持ちを抑えて指をもう片方の手で摘み一本ずつ開いていく。最後の指を開くとナイフが手からこぼれ落ち、静かな廊下に金属の高い音が響いた。私は慌ててナイフを拾い、むき出しのままのそれをポケットに突っ込む。
 準備が整った。震える指で部屋のチャイムを鳴らし、留守であってくれと願う私の期待を裏切って、ややあって扉が開かれる。

「なんだ、お前か。……何かあったのか?」

 私の様子に何かを察したのか彼が心配そうな顔をした。

「あのね……、ちょっと、は、話があって……」
「……分かった。入れ」

 彼は半身になり、私を部屋に促した。私はそれを断った。私には恋人がいる。夜分に男の部屋に入るだなんて、恋人を裏切るようなことはできなかった。
 私の返答に「そうか」と親友が目を細め、部屋から上着を持ってきて私の肩にかけた。
 その際、親友の目がちらりと私の下半身に向けられ眉を少し顰めた。何かと思い自身の身体を見下ろすと、自分のポケットから覗くスリングショットが目に入る。しまった、と思ったが彼は何事も無かったように私に話しかけてきた。

「どこか話せる場所に行くか」
「………………ありが、とう……」
「いい」

 彼は私に背を向けて歩き出す。寮の廊下の先にある談話室に行こうとする彼を引きとめ、「人が来ない所がいい」と言った。彼は頷き、踵を返して私が駆け上がった階段を下りていく。その背中を眺め、私は肩にかけられた上着を引き寄せ下唇を噛んだ。ナイフが見つからなくてよかったという安心感と、これからを考えて罪悪感が心を蝕んだ。


[*prev] [next#]
top
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -