廃業寸前な魚屋に店主が替わった公園のジェラート屋。昔こそ賑わいを見せていたパスタ専門店は広い空き地となって、入り口で楽しそうに客と会話をしていた年老いた婆さんの顔も、もう今となってはぼんやりとしか思いだせなかった。記憶はひどく脆い。俺がこの場所を離れてからいったい何年の月日が流れたのか、それを実感させられた気がした。


明日への亡命



教会から少し離れた場所にある小屋のような家は、孤児だった者が集い家族のように過ごした場所。離れたとはいっても子供の足で二、三分しかない距離のそこはどちらかといえば教会の横に建っていると言った方が正しいかもしれない。そんな、子供の目線からすれば大きく見えたのだろう家も何年か前に取り壊されたと聞く。そこは自分が育った場所だった。けれどそこも思い出の中だけとなってしまったのだと複雑な思いを胸に行ってみるとそこは本当に何もない平らな土地に成り果てていた。スクアーロは見慣れた筈だった景色を思い出そうとする。ひとつひとつが酷く曖昧で記憶とは脆いものだと何度も思い恥ずかしながら泣きたくなった。

教会には、孤児を集め家族のように接してくれた親代わりのシスターがいた。

「どんなものをお探しで?」
「黄色の…あぁ、これでいいなぁ」

そう言って傍で接客をしていた店員に掴んだ花を渡す。差し出されたそれを受け取ると女はにこやかに笑って小さく了解の意を込め長い髪を揺らし軽く頭を下げた。店内に入ったときに贈るものだと話をしていたのもあってか選んだ花は綺麗にラッピングを施される。その様を眺めながら手際がいいな、と些か感心しつつスクアーロは窓の外へと視線を移した。通りを歩く街の住人がくすんだ硝子を隔てぼんやりと動いている。

シスターは黄色が好きだった。年輩という外見に似合わず彼女はとても元気でそれを見るのが楽しかったのだ。けれどそれが家族愛からくるものだと気づいたのはいつだったか。
ああ…そう、あの赤い髪の少女を見るようになってからだ。

「ありがとうございました」

背中に店員の業務的な声を受けながら花屋を出る。真っ黒な服装には不釣り合いな黄色のそれが浮いて見えた気がした。スクアーロは時計を確認してから辺りを見回す。すると近くに新しくオープンしたのだろうカフェがあった。
せっかく一日オフにしたのだ。ちゃんと許可は取ったのだから今日は普段、煩い上司も文句は言わないだろう。それにわざわざ殴られることもない。そう思う自分に溜め息をつきたくなりながら彼はそこへと足を向け歩き出した。

そうそう先程の話の続きだが、俺には好きなやつがいた。赤い短めの髪を揺らして笑うフランス生まれの少女。所詮、一目惚れってやつだ。その女の子が教会にやってきたのは俺がシスターの背を追い越しなんとなく喜んでいた、そんなときだった。シスターといるときの彼女はよく笑っていてそれを見るたびに自然と気持ちが穏やかになるのがわかった。愛しいと単純に思ったのだ。

カフェの前で小さな子犬を囲むようにして騒いでいた子供の集団を避けながら店内へ。店の中に入っても外の騒ぎ声はあまり変わらず、スクアーロは外の子供を呆れたように、しかし優しく見守るようにして笑う窓際の客を一瞥し店員へ視線を移した。あの様子だといつものことなのだろう。この街の自由なところはいつまでも変わらないのだな、と笑った。

「いらっしゃいませ…あ、れ」
「…(なんだぁ?)」
「え、もしかしてスクアーロ?」

店員は怪訝な表情をしたスクアーロを凝視して嬉しそうに笑いかけてきた。どこかであっただろうか。彼が思考をめぐらせていると店員は眉を下げて子供のように拗ねた顔で腕をくんだ。

「おいおい…わかんねーとか言うなよー俺、泣くぞ?スッきゅん」
「スッきゅ……ってお前!!グレースかぁ゛!?」
「ああ、やっと思い出したーあんまりあれだったら重いの一発入れてやろうかと思ったぜ。」

がはは、なんて効果音が付きそうな笑いをした店員。見た目はスクアーロと変わらないであろう歳の青年だった。カウンター席を勧められ冷えた水を差し出してきた彼の名前はグレース。スクアーロとは教会で一緒に育った仲間であり、木で作った剣を遊び道具にして毎日のように泥だらけになるまで遊んだ懐かしい友人でもある。

「いやーびっくりびっくり。帰ってくるなら言えよー盛大に迎えてやったのにスッきゅんのいけず!」
「結構だぁ。大体なあ、お前…連絡なんかとれねーって知ってんだろうが」
「まあな、言ってみただけ」
「鬱陶しいのは相変わらずみたいで安心したぜぇ、グレース。」
「ひっでー!泣くぞ」
「おい、注文」
「はいはい、エスプレッソだろ」

気楽に話すあたり此処はこいつの店なのだろう。接客態度も何もあったもんじゃないが、ふわふわとした黒い髪がどことなく店の雰囲気にあっていて少しだけ納得する。
スクアーロは不意に懐かしさを感じた。やはりこの街には残したものがありすぎるようだ。心の中で嘲笑して鼻歌を歌いながら珈琲を淹れる青年の後ろ姿を眺め、複雑な気持ちで笑った。

シスターが死んでから初めて墓参りにこの街へ訪れた。この街から離れて数十年ほど経つが彼女の死を知るまで俺は昔とは決別してきたつもりだ。それは裏の世界で生きる者の職業柄か…いや、なんとなく染み着いた雰囲気を彼女に気付かれるのが後ろめたかったからなのかもしれない。俺は、例えるなら親不孝者だろうか。シスターは優しかったがそれと同じように鋭く、人の嘘には敏感だった。
彼女が育ったのも俺たちと同じ教会。彼女もまたなにかしらの理由があり孤児だったのだというのだからそれは、仕方ないのかもしれないが。

(あいつも元気にしてるのだろうか…ざまぁねえ、結局忘れるなんてできるわけないだろぉ)

組織に入ってから少女のことも忘れた。忘れようとしたのだ。それは自分のためでもあり少女にとっても一番良いことだろうと思ったから。ただ目の前にいるグレースは少しの間だけ情報を扱う仕事をしていたらしく俺のことは何故か知っていた。まあ、自分でも派手に動いているから知られていても仕方がないのかもしれないが…。ボンゴレのセキュリティに細やかな不安を抱きつつ、いつの間にか運ばれていたエスプレッソを喉に流してもう少し先へと進むと見えてくるであろう丘へと視線を向けた。

「今日は先生の墓参り?」

頭上からの声に視線を上げる。皿を拭きながらグレースも同じように丘へと顔を向けていた。

「あぁ…お前は?」
「んー昨日行ってきた」
「そうかぁ」

過去を探られればそれと同時に弱みを握られ相手のいいように利用されかねない。この業界では当たり前のことだ。選択を間違えれば待っているのは確実に、死。それは俺であるかもしれないし、下手すれば少女をも巻き込みかねない。だからこそ彼女には自分を知られたくなかったし危険にさらしたくなかった。スクアーロはぼんやりと時間を確かめようと辺りを見回す。そのとき、きらきらと控え目に光るフォトフレームに意識がもっていかれた。いつの日かシスターも交えて教会の前で撮った集合写真。こちらに向かって嬉しそうに笑いかけている数人の子供と一人の女性が写っていた。そうか。あの少女はこんな顔をしていたんだったな。

(そういえば結局、最後の最期までシスターの顔は見られなかったなぁ…。)

この生き方を望んだのは自分だ。後悔はないが、たったひとつシスターの死に目に立ち会えなかったこと、それが心残りだった。自分を働ける歳まで世話してくれた彼女はもう、いない。

「そろそろ行くぜぇ」
「そっか!どうだ、うちのエスプレッソは美味かったか」
「ああ、まあな…グレース」
「おう?」
「お前は…覚えといてくれてありがとうなぁ」

俺のことも、昔のやつらのことも。みんな。

「…どういたしまして」

少しだけ金を多めにカウンターに置いてからその場を後にした。呟くように青年は何かを言っていた気がしたがもう、スクアーロには聞こえていなかった。



(スクアーロも元気で、あの子と仲良くしろよ……。)


「あー、やれやれ…おいお前らーそのくらいにしねぇとワンコロ怒るぞ?」
「うわっ、グレースなに笑ってるんだよー気持ち悪い!」
「失礼だな君たち!俺は良いことあったから機嫌がいいのーってことでジュースでも飲むかい?」
「「「やったー!」」」

next.


明日への亡命(朱阿です)




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