情景、その優しさに(3/3)

「忘れ物だ」

フィアの纏う空気が少し穏やかになったのを感じ取ったのか、クラサメは手にしていた書類――小隊の名簿を彼女に差し出した。

「君の仕事だろう」

フィアは差し出されたそれをぼうっと見つめていた。なかなか手を伸ばさない彼女を決して急かしたりはせず、クラサメは名簿を差し出したまま。

沈黙が2人を包み込んだ。
居心地の悪いものではなかったが別段良いものでもない。
目の前にあるこの名簿に書かれている名前たちは、必ず彼女たち2人の記憶の中に刻まれているはずの名前なのに。

「……キツいですね」

もう、顔すらも思い出せないなんて。一体どんな顔をして彼らのノーウィングタグに触れれば良いのだろう。
それが隊長としての仕事だとしても。

ふっと洩れた笑みはいろんな感情が混ざりあって意味がわからなくなってしまったからで、決して涙を堪えた代償の笑みではない。
歪な笑みで名簿に手を伸ばした。

「すみません、わざわざありが……っ」

伸ばした手を、そっと掴まれた。
ぱっと顔を上げてクラサメを見る。
透き通る淡い色の瞳がそこにはあって。

「キツいなら、笑うな」

安らぎすら覚える瞳の色を見つめたままでいるとそう言われて。自然な動作で、力強い腕にそっと抱かれた。

「そんな顔をされる方が、キツい」

言葉が、詰まった。
ふんわりとした優しさに包まれたようで涙が出そうになる。背中に回された腕があまりにも優しくて、抱き込まれた胸があまりにもあたたかくて。

そんな顔をされる方がキツい、と言うのは彼自身の感情のことなのだろうか、はたまた戦死した仲間達の気持ちを代弁してくれたのかそこまではわからない。
わかるのはただ、彼の、クラサメの優しさに今自分が包まれているということ。

「綺麗に笑えとは言わない。けれど、笑えないのに無理して笑おうとするな」

優しかった彼の腕にぎゅっと力が込められた。マスクで少しくぐもった声がフィアの胸をあたためる。

「でも」
「笑えないなら、泣けばいいだろ?」

泣きたい訳ではなかったのに。
決して涙を我慢していた訳ではなかったのに。そう、思いたかったのに。
優しすぎるクラサメの言葉に誘導されるみたいに、じわじわと視界が滲んだ。

「誰も、咎めないさ」
「クラサメ、さん……っ」

優しい眼差しに熔けるように吸い込まれて、視界に映るクラサメの顔はもう見えていなかった。ぼろぼろと溢れるフィアの涙がクラサメの胸元を濡らす。彼は黙って彼女の髪を撫でていた。


「隊長なんて、やるもんじゃないって……そう思ったけど」

涙でぐちゃぐちゃになった顔でクラサメを見上げた。咎める訳でもなく肯定する訳でもなく、彼の瞳は真っ直ぐにフィアだけを映していた。

「誰かが、誰かがやらなくちゃ……背負わないと、いけないんですよね」

ぎゅっと、クラサメの背に腕を回す。
目の前にある確かな温もりを。

「背負い切れなくなったら私の所に来ればいい。半分くらいなら、持ってやれる」

言われた言葉にフィアは精一杯頷く。

「その顔なら渡しても大丈夫そうだな」

クラサメは先ほど渡そうとした小隊の名簿を再度フィアに差し出した。
今度はフィアもそれをしっかりと受け取り、彼の顔を見つめ直す。

「ありがとうございます、クラサメさん」

そう言ったフィアの顔はしっかりとした強い意思を持ち直したように見えて、内心とても心配していたクラサメの心も幾分か軽くなった。


* fin *
2012/01/29 了
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