▼ Sadness(3/3)


一先ず渇いた喉を潤そうと店のカウンターまでよたよたと歩く。足元が暗いため若干危なっかしかったけれど歩き慣れた場所。難なく辿り着いて眠る前に磨いていたグラスを一つ手に取った。
―――はずだった。

「っ……!」

するり、と掴んだ手の間をすり抜けて、ガラスのそれが床に降下する。
ゆっくりとゆっくりと、スローモーションのように見えていたのに不思議と避ける気にはならず。なんだかその瞬間の空気がとても“あの時”エアリスの体を銀髪のあの男の刀が貫いた時のものに似ているような、そんな錯覚。

ガシャンッ―――

あの瞬間、何が起こったのかよく理解出来なくて。怒り、悲しみ、そしてほんの僅かな安堵。すべてがぐちゃぐちゃになっていて。

「ナマエ!?」

はっとして顔を上げた。
いつの間にかナマエは床にぺたりと座り込んでいて、横を向けば何故かクラウドが慌てたように此方を見ていた。

「ナマエ?何か、あったのか?」

一体何の事だろうか。
クラウドに聞き返そうとすると。

「っい、た」
「ナマエ?」

左腕が急にチクリと痛んだ。思わず顔を歪める。どうしたものかと腕に視線を向けると、スッと一筋ナマエの腕に赤い線が描かれていて。

「あれ?あ、グラス、落として」

ぱちぱちと目を瞬きながらそう言う、クラウドが息を詰まらせた。暗闇でも目立つ金髪。端正な顔付きの眉間が寄せられて。ぐっと腕を掴まれた。クラウドに。
何をするのかと思えば。

「っ何して」
「黙ってろ」

掴んだナマエの腕を少し持ち上げて、赤く引かれた切り傷に唇を落とされた。ちゅ、と湿った音がして生暖かい何かがそこに触れた。

「っクラウド……!?」

触れたのは彼の舌だった。そこからゆっくりと赤い線をなぞるように舌が這わされて、痛いようなくすぐったいようなむず痒い感覚が走る。

「ん、クラ、ウド……ね」

しっとりと、じんわりと。傷口を舐められてクラウドの舌が往き来する。どれくらいそうされていたか、頭の芯が痺れてしまったようで正確にはわからなかったけれど。もう一度最初のようにちゅ、とそこに口付けられて漸く唇が離れた。
かと思えば。

「ひゃっ」

そのまま腕を引かれてぎゅっとクラウドに抱き締められる。肌寒い空気の中、温かいクラウドの胸。訳がわからなくてされるがままで、何か言いたくても頭が回らない。

「ごめん、ガラスの割れる音がして降りて来たんだ。……大丈夫か?」
「あ、ご、ごめん。起こしちゃって」

どきん、どきんと心臓が忙しくなる。
耳のすぐ近くで聞こえるクラウドの吐息交じりの声がそれを助ける材料になり余計に。こんなにうるさい音、彼に伝わりやしないだろうか?

「く、クラウドその、大丈夫だから、床掃除しなきゃいけないし、先に……」
「俺じゃ、頼りないか?」

これ以上彼に抱き締められていたら心臓が破裂してしまいそうで。なんとかして抜け出さなければとクラウドの胸を突っぱねようとしたのだが。

「俺では、ナマエを、守れないか?」
「え……?」

反射的に顔を上げてしまう。
すると悲しそうに揺らぐ魔晄を浴びた薄水色の瞳とぶつかり、その水晶体に自分が映っているのが見えた。とても、近い距離で。

「クラウド、何言って……」
「エアリスが居なくなってからだ、ナマエが俺を避けるようになったのは」

今度は違う意味で心臓が跳ねた。
真っ直ぐに見つめられて、動けない。
暗がりで色なんかわかるはずないのに、彼のブルーは鮮明で、透き通っている。

「彼女を守れなかったから、ナマエは」
「っ違う……」

悲しげに歪んだ彼の顔を見たくなくて、思わずぎゅっとクラウドの服を握った。
違う。エアリスが死んだのは、クラウドの所為じゃない。そして、それが理由でクラウドを避けている訳じゃない。

「違う、クラウドは、クラウドの……クラウドの所為じゃなくて」
「じゃあどうして」
「クラウドが好きなの」

え、っと。
魔晄に染まった瞳が大きく瞬いた。

「クラウドが、好き……なのに」

きゅっとナマエの眉間が寄せられた、苦しそうに。黙って彼女を見つめるクラウドは少し困惑した表情で。

「エアリスがね、殺された、時。ほんとは少し、安心した自分がいて」
「安心?」

今度はクラウドの眉間が怪訝そうに寄せられる。ナマエは内心焦りながらも平静を装い彼を見上げる。

「クラウド、エアリスのこと好きだったでしょ?エアリスもたぶん……だから」
「ナマエ」

だからクラウドを取られてしまう気がして、そう続くはずの言葉はすっと伸びてきたクラウドの指に遮られてしまう。

「勘違い、してるな」

綺麗なクラウドの指先がゆっくり下唇を撫でて、驚いて顎を上げた時。ふわり、と柔らかい何かがそのまま唇に落ちた。

「俺はずっと、ナマエが好きだった」

次いですぐに、耳元で囁かれた。背筋が震えるような、甘い甘い低めの彼の声。
夢かと思うような。けれどぎゅっと抱き寄せられたクラウドの温もりがそれを否定してくれて。目が慣れてきて薄暗く感じるようになった深夜のバーで。暗闇に栄える金の髪が眩しく思えて。

「今も、ナマエを好きなんだ」


すれ違いから、サッドネス。


*fin*

2012/06/07 了




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