▼ Tragedy(3/3)![]() 何も返事こそ返ってこなかったが、そっと背中に彼の腕が回ってきた。少し抱き寄せられてクラサメに近付く。言わずもがな、無言の肯定だった。 身を乗り出してクラサメの上に体を預けるような姿勢を取り、自然な動作で彼のマスクに触れる。 金属のそれは彼の体温でほんの少し温かくなっている。耳の下にも空いている手の指先を伸ばして少しだけ動かす。マスク自体を支えている手に金属全てが委ねられると、ナマエはゆっくりとクラサメの口元からそれを外した。 「クラサメさんだ」 素顔の彼に薄く微笑む。 そのまま首に腕を回して軽く抱き着くと彼の温もりが返ってくる。 抱き返される体温が嬉しくて、彼の身に付けているネックウォーマーのような黒い生地にも触れてみる。これも退けてほしい。 ナマエの意図はすぐに伝わったのか見つめる視線が「仕方無いな」そう言っているように見えて。 上着は脱いでいた。胸の辺りの黒い生地にゆっくり指を入れて布を持ち上げる。クラサメの碧い瞳がそっと伏せられた。 男にしては長めの睫毛がまじまじと晒されて、暫し見入ってしまう。 「早くしろ」 注がれる視線があまりに強烈すぎたのだろうか、不満そうな声が聞こえてくる。勿論見入っていたナマエの目はいつの間にか開かれていたエメラルドの瞳とバッチリ視線が絡んでしまい。 「あ、ごめんなさい」 掴んでいた布を彼の首から抜こうと膝立ちになった。もう一度クラサメが目を瞑ったのを確認して後頭部側の布から持ち上げる。倣って顎が抜けるよう布をずらして。 「あはは、髪ぐしゃぐしゃだ」 一気に引き抜くと少し乱れた彼の髪。 笑いながら手櫛で軽く整える。 不意に目線が同じ高さになって、エメラルドの渦に飲み込まれる。 ぎゅっと抱き着いてクラサメの首筋辺りに頬を寄せる。向かって左側。 先程までは黒い布地で隠されていた、残る火傷の痕がなんだか痛くて。慰撫するように唇を当てた。 「ナマエ?」 首が少し傾いた。くすぐったかったのか驚いたのかはわからない。嫌がられた訳ではないので痕に沿って舌でツーっと上までなぞった。 背中に回されていたクラサメの2本の腕がぎゅっとナマエの体を強く寄せる。必然的に体が密着する。 痕を辿っていた舌が輪郭のラインまで上ると髪に隠れた耳朶が視界に入り、何と無くその柔らかい場所を甘噛んだ。向かって左肩、彼にとっての右肩が僅かに動いた。咎めるように頭をぽんと軽く叩かれて、苦笑いしてクラサメを見上げる。 「ごめんなさい」 この時間、2度目の謝罪。 けれどあまりナマエに悪びれた様子は無く、クラサメも勿論本気で怒ってなどいない。下から見つめていたナマエはまた唇を彼の頬へ寄せて、ちゅ、と傷痕に触れた。爛れたその痕を治療しようとはせず、残すのには彼なりの理由がある。 ナマエはその理由を問い詰める気も聞き出す気も、あの当時何があったのか聞く気も無かった。ただ、 「クラサメさんが、無事でよかった」 死に損ないと笑う奴もいたがそんなものなりふり構わない。どんな理由であれ彼が、クラサメが生きて帰ってきたことに対して意味がある。人の生を馬鹿にしていいものなんて、この世に存在しない。例えそれがクリスタルでもだ。 唇をそっと頬から下に下ろしていく。 軽く啄むように動かして、クラサメの唇の端に辿り着く。そこで彼の唇が、静かに弧を描いた。 「するならこっちにしてくれ」 「っ……」 おとなしくされるがままでいたクラサメの腕がナマエの後頭部へ固定され、指が髪に絡んでいく。彼の唇の端で止まっていた唇をずらされて、隙間を埋めるように塞がれた。 急なことに驚きつつも抵抗はしない。 自由な手をクラサメの肩に滑らせて、這わせながら首に回す。 「んんっ……」 そうしていると熱い舌先が入り込んできて思考が一気に融かされる。この部屋はこんなに暑かっただろうか。 背中にあったもう一方の腕はナマエの腰辺りを撫でていて、引っ込めた舌も誘導されるように伸ばされてしまう。 うっすら瞼を持ち上げると同じ事を考えていたのか、淡いグリーンのそれとかち合ってしまいナマエは慌てて目を瞑る。 雰囲気で彼が笑ったのがわかった。 息苦しくなるまでそのまま角度を変えられ舌を吸われ、たまにそれを甘噛んでやって抗議してみせて、そんな小さな抵抗にまた笑われて。 そんな小さなトラジェディ。 *fin* |