この偶然は必然に(2/4)

「ちょっとだけお願い聞いてもらっても……いいかな?」

やっぱり控えめな態度でオレの袖を掴んだまま。オレはゆっくり頷いて見せる。

「オレに出来ることなら」

そう返すと彼女はほっとしたように息を吐いて、不意にオレの腕を自分の方に引き寄せて。

「手と、肩……貸してくれる?」

掴まれた腕に少しだけ力が込められる。彼女の意外な言葉にポカンと呆けていると、逆に心配そうな目で見られてしまった。

「あ、ああ……別に、いいけど」

少し声が上ずったかもしれない。
その時、漸く自分が目の前の女武官に対して変に緊張していたのだと気付かされた。何でだろうか。

「ありがとう」

よく見てみると少しまだ顔色が良くない彼女。痛みを堪えているような、あまり余裕の無いような。

「じゃあ、ちょっとだけ、ごめんね」

そういうと彼女は掴んだオレの腕を自分の肩に回し、オレの肩……と言うより胸に頭を預けてきた。はたから見ればオレが彼女を抱き寄せているような格好で。

「え、あ……」
「マキナくんあったかいね」

もし誰かに見られたらマズイんじゃないだろうか。いや、決して疚しい関係では無いのだけれど。その、一応オレは候補生で、この人は武官な訳で。
そんな事を頭の中でぐるぐると考えていると、いつの間にかオレの手は彼女の腹部に当てられていて。ああ、撫でられると痛みが和らぐんだろうか?

「手、動かしていいですか?」
「?」

大きな黒い瞳がオレを見上げた。
不思議そうにパチパチと目を瞬かせて見つめられたけど、すぐに彼女は頷いた。
それを確認するとオレは躊躇いがちに彼女の腹部にあった手で腹を擦ってみた。

「あ、気持ちい……」

コテン、と再び頭が胸に付いた。
シャンプーの香りだろうか、彼女の髪からふわふわとした匂いが漂ってくる。
レムもシャンプーやトリートメントの香りにこだわっていて、花の香りだったりフルーツの香りだったりと、よくオレの隣でいろいろな香りを振りまいているけれど。

(なんだ、これ。なんか……)

安心すると言うか、落ち着くと言うか。
懐かしいような新しいような。
目の前の彼女からはそんな不思議な香りがして。その所為なのか、なんだか睡魔が意識を襲ってくる。

「ん、ありがとう。少し楽になったや」

うとうとと舟を漕ぎそうだったオレの意識はそんな彼女の声に引っ張られ、慌てて姿勢を正した。

「あったまるとね、少し良くなるんだ」

そう言うと彼女はオレの腕の中からするりと抜け出して、ソファーから立ち上がって此方に向き直った。

「そう言えば名前、言ってなかったね」

どきり、とまた鼓動が鳴った。
微笑んだ彼女の顔をソファーに座ったままの体勢でぼうっと見上げる。

「フィア、フィア・サキトです」
「フィア……さん?」

確かめるように彼女の名前を呟く。
ふわりとまた微笑まれて、胸の辺りが締め付けられた。どうしたんだ、オレ。

「マキナくんは、優しいんだね。わたしね、今度正式に魔導院に入って来る子達の面倒を少し見てたんだけど。みんな個性が強いと言うか、騒がしいと言うか」

くすくすと小鳥が囀ずるみたいに笑うフィアさんの様子からは嫌がっているとかそういう印象は受けなかった。口ではそう言いながらも、その“みんな”を可愛がっているような。

「だからマキナくんみたいに落ち着いてる子みるとなんか安心するなあ」
「いや、オレは別に……」

なんとなく気恥ずかしくなって視線をフィアさんから逸らした。

「あ、もうこんな時間だ。そろそろ就寝時間だよね?ごめんね、マキナくん」

サロンの壁に掛けられている時計を見るなり、フィアさんは驚いた様子で目をパチパチとしばたかせた。

「明日も朝から授業でしょ?2組は確か実技だったよね。部屋、戻らないとね」

すっと目の前に手が差し出されて、意図がわからなかったけれどその手を握ってみる。すると。

「っうわ」
「あはは、起こせた」

ぐいっと思い切り腕を引っ張られて、ソファーから尻が離れた。悪戯っぽく笑うフィアさんの声が耳に入ってきて、馴染む。

「ほんとにありがとうね。見ず知らずの武官なんかを助けてくれて」

ぽんぽん、と軽く背中を叩かれて藍色のマントがひらりと靡いた。地に足を着けてしっかりと隣に立つフィアさんはオレより幾らか背は低くて、目線は自然と少し下。

「フィアさん、は。どっかのクラスの、担当?」

魔方陣目掛け歩き出した彼女の背に名残惜しげに問い掛けてみる。多分今の彼女に担当のクラスは無いのだろうけど、もう少しだけ時間を引き延ばしたかった。

「ううん、今はどこも受け持ってない」

けれど、彼女はまるでひらひらと舞う花弁のようで。

「もしまた会ったら、宜しくね。マキナくん」

にこりと彼女が微笑んだのと同時に、その姿は魔方陣によって消されてしまう。

「……あ」

気が付けばオレはそんな彼女の残像に手を伸ばしていて。自分でそれに気付くと誰が見ているわけでもないのに慌ててその手を引っ込めた。

「……フィア、さん」

彼女と最初に別れたのは、人気の無い時間帯のサロンだった。

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