「まだ少し早い時間だろう。気晴らしに散歩でもしてみるか?」
下ろされている彼の白金の髪を耳に掛けてやると不意に提案された。
確かに時間は少し、と言うよりかなり早い。まだ窓の外はうっすらと暗く空気もかなり冷えている。
温かいベッドとカトルの温もりから普段であれば抜け出したくはない。断っていたと思うのだが。あんな夢を見た後だからだろうか、無性に2人で何かをしておきたくなった。
頷いて見せると穏やかなアイスブルーの瞳が優しく細められた。
*
肌を刺すような尖った空気。
目覚めた時のそれなんて比べ物にならないくらいに突き刺さる。
吐いた息は真っ白に大気中に飲み込まれて、はらはらと降る白い雪と混じった。
白銀の世界に生まれて何年だろうか。
見慣れた景色に胸がときめくことなどあまり無くなってしまったのだが、朝のこの静けさに黙り込む白い雪たちは好きだった。
「寒くはないか?」
カトルの発した言葉も白い蒸気となって空気に溶けていく。けれどその低い声はしっかりと耳に届いており、フィアは大丈夫だと呟いた。
サクサク、なんて可愛い音じゃない。
ザクザクと可愛くもない音を立てながら2人肩を並べて歩く。肩を並べて、なんて比喩に過ぎなくて本当は高低さから並んでなんかいない。歪な階段みたいだ。
歩き慣れた総督府の敷地内だけれど、人の少ないこの時間は不思議と違う場所に来ているよう錯覚できた。慌ただしく生きる音も無い、時間が止まってしまっているような、世界が止まってしまっているような。
白に支配されたこの場所で、徐に手を掴まれる。弾かれたようにカトルを見上げれば隻眼が此方を見つめていて。
「おまえは危なっかしいからな」
するりと指が絡む。ご丁寧に黒い革のグローブは外されていて、カトルの一回り以上大きな手にすっぽりと包まれる。指先から伝わる熱が愛おしい。
「何ですかそれ、いくらわたしでも何も無いところで転んだりしませんよ!」
だけれど聞き捨てならない彼の台詞にはキチンと言葉を返しておく。カトルは笑っていたけれど、そんなにおっちょこちょいに見られていたなんて心外だ。
繋いだ手はしっかり握り返したけれど。
「だといいがな」
「転びません!」
べーっと舌を出して見せる。少し子供っぽいフィアの仕草にまた笑うカトル。
やっぱり彼の方が大人だとか、子供扱いされているとか、少し不満はあるけれど勿論そんなの幸せな不満で。空いた時間にたまにカトルの愚痴を溢せば、いつもフェイスに呆れられている。
はらはらと降る雪が頬についた。
気が付けば今朝見た嫌な夢は記憶から薄れていて、今は隣を歩くカトルの優しさで胸がいっぱいだった。
そんなことに意識が向いていて、すっかり注意力散漫状態のフィア。自然と口元に笑顔が浮かんだのだがそこはお約束。
「っわ!」
凍ってしまっていた雪の上で足を滑らせて前へ足が持っていかれる。崩れた体勢は臀部から重力に従って冷たい雪の上に落ちるはずだった。
「フィアっ!」
1人だったならきっと尻餅を着くしか選択肢は無かった。けれど今は1人ではない。ぐっと腕が持ち上げられて腰を引き寄せられて、大きな胸に支えられた。
「っじゅん、しょ」
「だから言っただろう?」
ぱっと上を見上げれば、少しだけ怒ったように眉間にシワが寄っている彼の顔。
ぎゅっと掴んだカトルの軍服を引っ張って曖昧に笑う。支えられているのを良いことに、そのまま彼の首に腕を伸ばして抱き着いてみせる。
「ごめんなさい」
珍しく素直に謝罪の言葉を口にする。するとカトルも「珍しい」と言いたそうな表情をフィアに向けてくる。けれどそれも、直ぐに優しい眼差しに変わって。
ふわり、と雪の結晶が触れるみたいに。
柔らかな唇がフィアの唇に落とされる。
少し驚いて目を瞑り忘れて、慌てて瞼を伏せてみる。やんわりと唇を挟まれる感触に意識が集中する。
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