なんでサユがクラサメの部屋に?
彼女は何をしていた?
クラサメは?
「っなんで……!!」
バンッと扉を開いた。
目の前にいたのは。
「まだ、咲かないんだね……キミは」
蕾をつけることのない、サクラの木。
「氷剣の死神、覚えておけ」
ギリギリと体重を掛けられて、無理な体勢でそれを受け止めているクラサメの腕が悲鳴を上げそうになる。
「っ」
楽しそうに笑うカトルの隻眼が細められて、クラサメを冷たく睨んだ。
「フィアは、必ず奪ってやる」
「っ!」
はっとして顔を上げた。
疲れているのだろうか、闘技場でカトルに言われた言葉が頭の中で何度もリフレインされていた。
突然の皇国軍の奇襲を彼が指揮することになった0組のおかげでなんとか防ぎ、魔導院を死守することには成功した。
疲れきった体を叱咤し、クラサメは1人自室で明日からの予定を確認していた。
いや……。
「取り敢えず、魔導院だけはなんとか守ることが出来たね。クラサメ君?」
2人、――ベッドに腰掛けたままクラサメに話しかけるサユ。彼女は黙ったまま動かないクラサメを見て不審に思ったのか、問い掛けた。
「考え事?」
「お前には関係無いことだ」
ふい、と視線を逸らして机の方へ行き背を向けるクラサメ。そんな彼の反応が面白くないのか、サユはゆっくり口を開いた。
「もしかして、フィアのこと?」
ピクリとクラサメの肩が僅かに跳ねた。
わかりやす過ぎる彼の反応にサユは一瞬口元に笑みを浮かべ、すぐに真面目な顔に戻した。クラサメには見えていない。
「ねえ、クラサメ君」
クラサメの頭の中で、また先程のカトルとのやり取りが再生され始める。
「もう、8年も経つんだよ?」
そう。8年待ってもフィアが戻って来ることはなかった。その間クラサメは幾度となく自分を責め立て罪悪感に駆られ、当て付けようの無い感情を消化できずに彼女へ吐き出していた。
今ここにいる女、サユに。
「フィアだって、もうクラサメ君のこと覚えて無いかもよ?向こうで、新しい暮らしを始めてるかもしれない」
彼女もそんなクラサメの捌け口にされることを拒むどころか自らそうなるように仕向けているようで。いや、実際そうなのかもしれない。
「今回のことで、白虎から捕虜を取り戻すなんて余計に難しくなっただろうし」
ベッドから立ち上がったサユ。
「フィアのことは、もう忘れた方がクラサメ君のためだよ?」
「少し、黙れ」
苛立たしげにクラサメは吐き出した。
そんな事言われなくとも彼自身が1番よくわかっていた。帰って来ないフィア。連れ戻せないフィア。
“フィアは、必ず奪ってやる”
突き刺さるカトルの言葉。
(奪う?……もう、既に)
どこからともなく蝉の鳴き声が聞こえてくるような、そんなはずはないのに。
あの日に離したフィアの手の感触が、今ではもう朧気で。
「クラサメ君、忘れられないんなら、いつもみたいに私をフィアだと思って抱いていいから」
その手に重ねられるサユの手。
自分から握った事は決して無い。
自分からサユに縋った事等1度もない。
「忘れちゃいなよ」
クラサメの首にサユの腕が回る。
そのまま雪崩れ込むように倒れる2人。
ギシギシと軋むベッドの音が酷く滑稽で不様で。自ら足を踏み込んだ暗い暗い、静かで五月蝿い静寂の空間も馬鹿馬鹿しい。けれど。
「っん、クラサメ君」
抜け出せない。
絡まった糸がほどけない。
ついた足枷はただ彼の体力を奪うだけ。
自ら繋がった鎖は外せなくて。
結局、吐き出す場所の無い重たくて大きな何かを、彼女へ吐き出すしか術を持っていなかった。
「っぁ、ん、クラサメ君っ」
「っ」
愛しい愛しい、
君が聞いているなんてこと気付かずに。
「フィアっ……」
叫んだ名は、君へは届かず。
暗闇へ、消える。