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『クラサメくん』



*




「靴紐……?」

呟いた息が僅かに白く染まり、湿った夜の空気に飲み込まれていく。
急な足の甲の開放感に、クラサメはズボンの裾を持ち上げた。
最近彼は夜にかけて魔導院の外に出る事が多かった。武装研究所からの依頼だったり、諜報部からの頼み事であったり。大抵はモンスターか皇国兵を狩ってくる依頼ばかりなのだが。

革靴の靴紐が切れるなんて珍しい。
簡単に切れやすい物など使った記憶はないし、そうそう切れる物でもない。
だからといって替えがあるかと言えば靴紐の替えなんて持ってるのも珍しい。
明日の昼頃に街に行って靴屋に何とかしてもらう他、道は無かった。

「一先ずもど……」

今しがた倒した残存兵からファントマを抜き取った後だった。感じた気配に、クラサメは神経を研ぎ澄ませた。

「朱雀の候補生じゃないか?」

小さな小さな声だった。
どうやらすぐ近くの町の門の辺りからその会話は聞こえてくる。クラサメはそのまま動かず耳を済ませていた。

「本当だ……!どうする?殺っとくか?あいつ今は1人みたいだぜ」
「バカ言え!俺たちは今ルブルムの町人だ。見つかりに行ってどうするんだよ」

丸聞こえなのに気付かないのだろうか。
どうやら相手は何処かのスパイの様で。
特別何かしてるわけでもない、見過ごしても問題はないだろう、が。

「よく見てみろよあいつ、四天王殲滅戦の時にカトル様が拾ってきた女と同じマントじゃないか?」
「ああ、カトル様のお気に入りの子か」

(カトル……?お気に入り?)

四天王、と言えば自分がそう呼ばれている朱雀四天王の事だろうか。
そして殲滅戦、これは恐らくこの間の戦いのことだ。自分と同じマントで、殲滅戦“カトル”と言う男が拾ってきた女。
―――クラサメには、心当たりがありすぎた。

「軍刑務所じゃなくて、カトル様の部屋に預かられてるんだよな」
「まあ、それなりに、可愛がられてるんだろ?」

プツンッと。
靴紐が切れた時には聞こえなかった筈の糸の切れる音が。何故か自分の頭の中で聞こえた。

「っ……!」

手にした氷剣を構え、町の門近くにいた男達の元へ静かに走る。
そんなクラサメに気付いたスパイ2人は平静を装いつつびくびくと震えていた。

「お、おい!あいつ」
「落ち着け、俺たちは町人なんだ。いくら候補生だって町の人間は」

確かに男2人は一般人の服装。
武器も持ってはいないのだろうし、先ほどの会話ぐらいしか彼らが皇国兵だという証拠はない。
しかし、証拠はあの会話だけで十分だった。

「こ、これはこれは。魔導院の候補生さんじゃないですか。こんな夜更けに一体どうしたんです。幾ら候補生さんでもひと……っ」

話していた男の声が不自然に途切れた。
震え混じりに緊張して伸びていた彼の肩はだらんと項垂れて。

「お、おい!どうし……ひっ!」

もう1人の男は目にした光景に腰を抜かす。男の腹には暗闇でもその輝きを失わない、鋭い氷剣が貫通していた。
ボタボタと暗闇に混じって赤黒く見えるそれが彼の足下を埋める。
黙って剣を引き抜くクラサメ。支えを失った男はその場に崩れ落ちる。

「や、やめてくれ!俺ら、な、なにもしてないじゃないか……!あ、あんた、あんた……!」

「俺の前で彼女のことを口にするな」

そう、抑揚なく淡々と告げる。
ずりずりと腰を引き摺りながら後ずさる男に無言で歩み寄る。1歩、また1歩、ゆっくりと。

「は?か、彼女……?なに言っ…ぐっ」

分厚い肉を、刃で貫く瞬間というのはこんなにも快感だっただろうか。
剣にこびり付いた血を拭いもせずに、クラサメは魔導院への道のりを返した。

冬も終わりに近づいた、命の芽吹くはずの季節だった。


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