雨は昨日から止まなかった。
生憎の空模様だったが、カトルはこの日朝から夜に掛けてシドに付き添いここを留守にすることになっていた。
隣で眠るフィアの髪をそっと撫で、カトルは彼女を見つめた。
すやすやと幸せそうに眠るフィア。
現状は決して彼女が望むような幸せな状況ではない。それでも自分といる時は幾分か和らいだ表情を見せてくれるようになっていた。
「ん」
寒いのか、身を小さく丸めて此方に擦り寄ってくるフィア。まだ時間は十分にあった。応えるようにカトルは彼女を腕の中に閉じ込めた。
「……クラ、サメ、くん」
そうして彼女の呟いたその名前に、酷く心を抉られた。
最初に出会った時も、フィアはその名前を口にしていた。「クラサメ」と。
それが一体誰なのかはわからない。
朱雀の幹部に「クラサメ」の名は聞いたことがないし、クラサメ「くん」と呼んでいる辺り、もしかしたら彼女と同じ候補生なのかもしれない。
ザアザア ザアザア
どうにも心に掛かった靄が晴れない。
まるでカトルの心を象徴するような天気の空を、彼は睨み付けて自嘲気味にふっと笑った。
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カトルの帰りは多分夜。
今日も今日とて特に代わり映えのしない毎日をこの執務室で過ごす。運が良ければリューゲがたまに外に連れ出してくれたり、話し相手になってくれたりする。
今日は朝からずっとカトルがいないのだし、もしかしたらリューゲが来てくれるかもしれない。そんな予感がした。
カトルのいない執務室の窓辺から、一人何を考えるわけでもなく外を眺める。
相変わらずの沛雨を目にしながら空にも視線を注ぐ。曇天のそこに枝分かれする一筋の雷光が見え、直後に地響きのような凄まじい雷の音が鳴り体を竦ませる。
「雷雨かあ」
ザアザア ザアザア
この天候の中出掛けたカトルは大丈夫だろうか。最近ではそんな心配もするようになった。
初めはそこそこ彼を警戒していたつもりだったのだが、思ったより毒気の無い彼の性格や言葉に上手く丸め込まれたと言うか。多分、人として嫌いになれない部類の人間なんだと思う。
「もうすぐ、春なんだ」
春と言えばサクラ。
サクラと言えばもちろん。
「クラサメくん。元気、かな」
彼のことが浮かんでしまう。
ここに来てもう何度、彼の名前を呼んだだろうか。気付けば無意識に口にしていて、考えていて。四六時中頭の中にはクラサメの姿があった。
「フィア」
執務室の扉が開かれ、いつものようにリューゲがこそこそとやって来た。
フィアは振り返って笑顔を向ける。
「今日は外出れないね」
さすがにこの雨ではリューゲだって外に出たくは無いだろう。ところが。
「いや、フィア。ちょっと訓練施設の方に行ってみないか?」
「訓練施設?」
初めて受けた提案に困惑するも、フィアはこくりと頷いた。もしかしたら自分も少しは体を動かせるかもしれない。
「よし、じゃあ行こう」
「え、あ?もう?」
「行動は早い方が良いんだよ」
いつもよりやや強引に、リューゲはフィアの腕を引っ張って見張り兵や他の兵士に見付からないよう訓練施設に足を向けた。
*
「ここが訓練施設?」
連れてこられたのは少し埃臭い倉庫のような場所だった。けれど実践用の剣や銃などはちゃんと備え付けてある。
どうやら長い間使われていないだけで、一応ちゃんとした訓練場なのだろう。
「で、こんなとこに連れてきて。勿論リューゲが演習相手……って、あれ?」
置いてあったライフルを掴んで彼を見た時、その場にリューゲの姿は無かった。辺りを見回すが、どこにもいない。
「リュー……っ!」
「おとなしくしろ」