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「フィア」
全体のブリーフィングの後、クラサメは軍令部からの階段をちょうど降りるところであったフィアを呼び止めた。
呼ばれたフィアは色の無い瞳でクラサメを振り返り、一言返事をする。
「話があるんだ」
そう言うとクラサメはフィアの横を過ぎ先に階段を降りてしまう。彼女の視界に映るのは彼が歩くリズムに合わせてふわりと揺れる燕尾状のマントの後ろ姿で。
拒否権は無いのかと喉まで出た悪態はぐっと飲み込んだ。
魔方陣から右に曲がり、彼の姿が見えなくなる。0組の教室だろうか。黙ってフィアもそのマントを追い廊下へ向かう。
赤い絨毯の先に彼の姿は既に無く、仕方が無しに両開きの扉の片方を開いて教室に入ると。
「話って、何ですかクラサメ士官」
一瞬、驚いた。
彼は、クラサメは候補生たちが座るべく椅子に腰掛けていて、入ってまず見えたのは自分の席に座る彼の後頭部だった。
用件を問いながらフィアは窓際に歩みを向ける。
夏の刺すような陽射しが背の高い窓ガラスから燦々と押し寄せてくる。迷わず一番端の後ろの席へ腰を落ち着かせた。
「明日、通常ならば0組には他の組と共に正面突破の命が出ている。恐らく皇国の戦力の大半がイングラムまでのそこへ向けられる」
なんだ、作戦の話か。
ぼんやりとそんな風に思いながら窓の外を見た。確か、当時は桜が満開だった。
「しかし作戦が変わったんだ。それを裏手に取って、0組の数名にはイングラムの背後側から敵陣営を目指し単独で行動してもらうことになった」
初めてクラサメと任務のコンビを組むことが告げられた日。朝からカヅサやエミナたちに絡まれて騒がしいながらも、クラサメに爽やかに朝の挨拶をされ肝心の隊長の言葉を自分は聞いていなくて、クラサメの声で一緒に任務を行うのだと言われた。
「多少リスクのある作戦だが、0組なら大丈夫だろうという軍の判断だ」
小競り合いや不慮の事故や望まない戦いはまだまだ多い時代だったけれど、候補生として空色のマントを背負っていたあの時。
クラサメの方をちらりと伺った。
彼は足を通路に投げて裏庭側の方向に視線を向けている。フィアから見えるのは彼の背中だけで。
「私もお前も自陣に残っての指揮になるが、何があるかはわからない」
彼の背が、見えない様に目を逸らした。
黒板、教壇、階段、床、机、そして昔と変わらず太陽の光を誘い込む背の高い窓ガラス。外には桜ではない他の木が青々と茂っている。
「今までで最大規模の戦いになることは確実だ」
そういえば、サクラの木はあれから1度くらいは咲いたのだろうか。
太い幹から伝うその健気な枝に、淡く色付く臼桃色の花弁を纏えたのだろうか。
今となってはその木の幹さえ朧気で、彼と交わした約束も、白亜の雪に霞んで凍てついてしまっているけれど。
雪の反射に焼けて色褪せた、パノラマ式の長いフィルムを。
「死ぬなよ、フィア」
そっと、引きちぎる。
ミーンミンミンミン
ミーンミンミンミン
ミーンミンミンミン
ミーンミンミンミン
ミーンミンミンミン
Continued.