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どん、と彼の胸を押し返していた。
顔が見れない。見たくない。

「っ……んで」

8年呼び続けた彼の名も、今はもう色褪せた記憶の中で押し潰されていて。
澱んだ黒い空が2人を見下ろす。
いなくなっていたように見えたトンベリはベンチの近くで此方を見つめていて。
星が、堕ちる。

「なんでよ……わかんないよ……!クラサメくん、なんでこんな」

ぐっと、自分の服の裾を握った。
着なれていた候補生の服ではない、朱雀武官としてのその服。
変わってしまった。
変わらなかったはずの。

「違うよね……こういうのは、わたしじゃなくて」

ふるふると握った拳が震える。
見たくないのはクラサメの表情。

「サユとするべきだよね?」

見つめたクラサメの瞳が、もう一度大きく見開かれた。懐かしい碧。
冷たい夜の空気が抱き締められた時に感じた仄かな胸の高鳴りさえ冷やしてく。

もう、戻れないよ。

「ばいばい、クラサメくん」
「フィアっ、待て!」

魔方陣へと翻したマントに構わずクラサメはもう一度フィアの腕を掴んだ。けれどフィアの意志は変わらない。

「話を、」

フィアの体が魔方陣へ向かう。
その腕をもう一度思い切り引いたなら、容易くこの胸に彼女を閉じ込められるのに。

「彼女はっ……」

それが出来ないのは何故か。
そんなこと、クラサメ自身が一番よく解っていた。

フラッシュバックするあの日。
蝉が鳴く、蝉が鳴く、蝉が鳴く。
自分が離したあの細い手が、無情にも今度は向こうから離される。冷たい空間にフィアの姿が薄くブレて。




ミーンミンミンミン……




掴んでいた腕の温もりが消えたのと、目の前からフィアが居なくなったのは同時だった。テラスに吹く風がゆらゆらとクラサメのマントを靡かせる。

きっと行き先は武官の寮。
自分も魔方陣へと飛び込めば彼女を追い掛けられる。遠いミリテスへ飛び立ったわけではないのだ。なのに。

「………」

ぺたぺたと歩いてきたトンベリの持つ蒼白いランタンがクラサメの姿を灯す。
まるで暗闇にいる彼に手を差し伸べるように。道を明るく照らすように。

「違うんだ……」

その明かりを拒むように、しゃがみ込むと彼はトンベリの頭へ手を置いた。

ただ純粋に、彼女を思う気持ち。
それだけならば追い掛けられた。
細い腕を引いて、抱き締めて思いを告げて、あの日のことを謝って。
だけど違った。彼女は知っていた。
彼の犯した過ちを。

「私が、悪いんだ」

狭い壁に覆われたこの場所で、零れ落ちそうな程の澱んだ暗闇を見上げてみる。
純粋にこの空が見えないのは何故か、自分の心がくすんでいるからで。

切り開いた暗い夢の空間を、抜け出そうと手を伸ばした。竦む足を叩いて歩き出したその瞬間に。

「終わらせる、べきなんだろうな」

君がいないだけで、未熟だった心は崩壊しそうになって。
君の名を呼ぶだけで、隙間だらけの心は震えた。
代わりに埋めたレプリカが重くて。

今も、笑えない。

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