決して期待していなかった訳ではない。
ただ、期待を持てば持つほど、
裏切られた時のショックは計り知れないもので。
「密偵、……か」
イングラムの街などよくわからない。
ミリテス領だって候補生時代に任務や移動で通っただけだ。詳しいなんて嘘だ。
けれど、嘘をついてまでして引き受けなければならなかった。いや、引き受けたかった。イングラムの街付近に0組を案内するという任務を。
耳につけていたCOMMの電源を落とした。
さくさくと、真っ白な海原を一歩進む。
また一歩、一歩、一歩。
曖昧だった足取りはだんだんと確かな意志を持ったものに変化していく。
蝉が鳴いた日。
何もかもが変わってしまった日。
それに気付かず、気付くことが出来ず。
ただただ彼を信じて。
それを生きる糧に、希望に。
けれど、そんな希望は打ち砕かれた。
バラバラに、粉々に、砕け散った。
「っ……、は」
吐いた息が白く変わり消えていく。
自然と速まる足。道などわからない。
捕虜として捕らわれていた間外に出たのは数えられる程。街の景色を見るのもガラスで遮られた暖かい部屋の中でだけ。
冷たい。一歩踏み出せばサラサラの雪に足首辺りまで覆われてしまい、既に足の指先の感覚が無かった。
歩きづらさから呼吸は乱れ、寒さから体力を奪われる。それでも――。
「っ……、はぁ」
フィアは走った。
ただ一心に、暗闇を抜けるため。
白亜の景色に見た、あの――
「カトルさんっ……!」
儚く狂い咲く、サクラを求めて。
*
朝からの会議を終え、特別予定の詰まっていなかったカトルは執務室に戻っていた。まだ部屋に入ると探してしまう。
「お帰りなさい」と自分を嬉しそうに出迎える彼女の笑顔を。
蝉の咽び鳴くあの日、兵士が彼女に剣を突き立てその生を奪おうとしているのを見た時、何故か体が勝手に動いていた。自分でも無意識だった。
細い体、小さな肩、白い肌。
ぐったりと動かず、赤い鮮血に身を浸らせた彼女。戦場に情けなどあってはならないのに。
総督府へと連れ帰った彼女は幸い味方が治癒魔法を掛けていたらしく大事には到らなかった。若さからか回復もそれなりに順調で、すぐに元気になると軍医にそう言われた。
「初めは警戒されていたな」
目覚めた時になんと言って落ち着かせるべきか。カトルは頻りに考えていた。
けれど敵対する国の軍人である自分が何を言ったところで、多分彼女は聞く耳を持たない。そんなこと勿論わかりきっていた。
だから適当に、捕虜らしい扱い……自分の傍に置いておきやすい理由を彼女には話したのだ。
白虎に捕虜を収容する余裕は無い。
かと言って上や下に任せておけば彼女はきっと軍刑務所に送られてしまう。まだ若く、候補生とは言え非力な女。良くない想像などすぐに現実になってしまう。
自分の傍が、多分一番安全だった。
そうしてカトルの考え通り彼女はどちらかと言えば反抗的な態度ばかりで、出された食事も勿論全く口にしない。
幸い軍医にされる点滴だけは文句を言わず受けていたが、やはりそれは最低限のものでしかなくて見る見る内に彼女は痩せていった。
どうしたら食事を口にするか。
そう考えていた日。たまたま彼女がぽつりと呟いた言葉を聞いてしまった。
「――クラサメ」
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