「っありがとうございます!!」
フィアはばっと体を折り曲げて深く深く頭を下げた。
8年間もの間白虎にいたのだ。それが今更朱雀のピンチの時にノコノコと帰ってきて、あっさり受け入れてもらえるなんて思っていなかった。皇国の密偵として疑われることも覚悟していた。
しかしカリヤはそんなフィアを信じていてくれてたのだ。
「しばらくは勘を取り戻すために普通の武官と同じような仕事をしてもらいましょう。貴方ならすぐに勘を取り戻せるはずです」
「はい!朱雀の人間としてもう一度受け入れて貰えるなら、なんでもします」
顔を上げたフィアは力強く頷いた。
「時がくれば、候補生の隊長の役割も担って頂きましょう。期待していますよ」
表情を和らげたフィアはもう一度深くカリヤへお辞儀をした。
その後時計を確認したカリヤはゆっくりと立ち上がり、窓枠に近付きながら言葉を続けた。
「ところでフィア」
ぱっと顔を上げる。
「会いたい者が、いるのではないですか」
「えっ?」と思わず声を洩らした。
慌てて自分の口元を覆ってみるが遅い。
カリヤはふっと息を吐きながら笑い、優しい眼差しでフィアを見つめた。
「会ってきなさい。この時間であれば部屋にいるでしょう」
「っ院、長、でもっ」
どくん、と鼓動が聞こえた。
院長は何か知っているのだろうか。
不自然に汗ばんできた手をぎゅっと握った。心なしか冷たい指先。少し震えてきただろうか。
「彼の、クラサメ・スサヤの部屋は」
*
どうすればいいのだろう。
何を話せばいいのだろう。
どうやって声を掛けたらいい?
フィアの頭の中はぐるぐると同じ問題を自問自答していた。
勿論朱雀に帰ってきたら1番にでも会いたかった人物。まさかカリヤ院長に彼のことを言われるなんて思っても見なかった。
(クラサメくん。覚えてる、かな)
少しだけ募る不安。
命を落とした訳ではないのでもし忘れられていたとしても、名前くらいなら覚えてくれているだろうか?
(サクラの木、忘れてるかな)
ドキドキと緊張する。
武官の自室が並ぶ廊下。フィアの手は緊張からか氷のように冷たくなっている。膝もなんだかガクガクと笑ってきそうで、下手な戦闘や作戦より緊張していた。
あの日、自陣へ戻ることをフィアはクラサメへ念押しした。自分からそう願ったとは言え、去っていくクラサメの空色のマントが靡いていたのは今でも鮮明に覚えている。
蝉が鳴いていた。
嗄れた声で、ミンミンと煩わしく。
(そっか、サユのことも覚えてるってことは生きてるんだよね。あと、エミナやカヅサのことも忘れてない)
当時の友人の名前を思い浮かべて指折り数えてみる。あまりの少なさに複雑な気持ちになったけれど。
(サユやエミナにも会いたいな、あとカヅサにも)
明日、彼女たちにも会えるだろうか。
楽しみに考えているとカリヤ院長に教えてもらった部屋の前に着いた。
何故だか足音を立ててはいけない様な、思わず忍び足で気配を消してみたくなってみたり。
少しだけ浮かれている自分もいて、けれどドキドキと緊張から吐き気をもよおしそうになったりとフィアは落ち着かなかった。
(8年ぶり、クラサメくん……)
扉の前でゆっくりと深呼吸。
震えそうな拳を持ち上げて、扉をノックしようとする。が。
「っ!」
ぐっと手を引っ込める。
(出来ないっ!どうしよう)
慌てて扉から離れて体を丸めてしゃがみ込み頭を抱えてしまう。端から見れば当然変な人物なのだが、幸か不幸か周りに他の人間の気配はない。時間が時間だからなのか廊下も静かでみんな寝ているのだろうか。
(クラサメくんも寝てるかな。いや、まだ起きてるかも。でも早くしないと)
寝てしまうかもしれない。
頭を抱えたまま扉を見上げた。
「……っん、……、くん―――」
(え?)
ぱっと顔を上げる。
「くん、っぁ、……メ、くん」
サァーっと、血の気が引いた。
突然頭から冷たい氷で覆われていくような、不思議な感覚。
辺りを見回した。―――誰もいない。
「は、ぁ……クラサメ、くんっ」
息を詰まらせる、どこか懐かしい男の声が静かに耳をつんざいた。
「……――っ!!」
弾かれたように立ち上がり、意識するより先に足が動き出していた。
今まで音を立てない様にと気遣っていたのさえ嘘の様に大きな足音を立てて。
冷たく震えていた拳はいつしか堅く握られていて、切り揃えられた爪が皮膚を裂いた。
蝉は、まだ鳴き続けていた
Continued..